INTERVIEW:

MEGA-G

「やっぱり、現状というのは受け入れたいんですよね。自分の今の立ち位置も冷静に見たかったし、そう考えたらやっぱり、俺は“旬”じゃないと思って。その上で、『自分がやれることって何だろう?』って自問自答して。あと、ラッパーで若い世代にこういうことを教える人がいないな、とも思ったんです。ラップを通して若い世代に教える人がいなくなっちゃったな、って。HIP HOPを軸にして何かを人に伝えたいというか、メッセージ性を大事にしたくなったんですよね。曲を通して知識を若い世代に託すことで、『HIP HOP、もっと好きになってくれよ!』っていう(笑)」

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 30代後半〜40代前半の世代にとって、90年代中盤に活躍していた所謂『さんピン世代』は“親”の世代にあたる。それを基準として考えると、2000年代後半〜2010年代前半に台頭した5lackやKOHHらの世代は“孫世代”となり、BAD HOP以降の現在20歳前後の世代は“曾孫世代”となるだろう。孫ぐらいの世代なら“祖父たち”の栄光や功績をリアル・タイムで体験してなくとも知っている筈だし、受け継いでいるイズムもある筈だが、曾孫世代となるとどうだろうか?曽祖父世代の栄光や功績について知らなかったり興味がなくても致し方ない部分もあるだろうし、イズムやHIP HOPに関する価値観において断絶が生じてしまうのも無理からぬ話なのかもしれない。これは日本語ラップに限らず、USのHIP HOPでも同様のことだ。
 
 ラッパーとしてのキャリアが20年を超え、00年代にはMSC、メシアTHEフライ/DJ MUTAとのJUSWANNAでの活動を通してシーンに重要作を数多く遺し、2010年代に入っても積極的なソロ活動や『フリースタイルダンジョン』に出演するなどして常に現行のシーンにコミットし続けてきたMEGA-Gもまた、『さんピン世代』を“親”に持つ世代のひとりだ。その彼が、意外にも初のオフィシャル・ソロ・アルバムとなる「Re:BOOT」をリリースしたが、現行のHIP HOPを好んで聴く20歳前後のリスナーたちにどう受け取られるのか、未知数な部分があるというのは、作ったMEGA-G本人も認めざるを得ないだろう。サウンドは、彼が長年愛してきた90年代ブームバップ・サウンドを意識したものだし、近年、平易な表現が主流となっている日本語ラップのトレンドと比較すると、膨大な量のオマージュやサンプリングが仕込まれたリリックはかなりの情報量に感じられるだろうし、ラップ・スタイルもトレンド最先端のものではない。
 
 だが、「Re:BOOT」がMEGA-G世代のリスナー/プレイヤーに支持されるのは間違いないが、少しでも現行の世代にも本作が届くことを筆者は期待してやまない。それは別に、本作で歌われている(かつての)B・ボーイ然としたHIP HOPイズムを若い世代に押し付けたいからではなく、HIP HOPが何故、MEGA-Gにとって魅力的なのか?何故、20年以上に渡ってHIP HOPというアートフォームを追求し続けることが出来たのか?という、HIP HOPに呪われ続けたいちMCの尊さすら感じさせる情念のようなものが全編に宿っているからだ。新たなディケイドを迎え、ますます世代交代が進んでいくであろうタイミングで、本作のようなアルバムが発表されるというのは、ものすごく重要な意味を持つ。「Re:BOOT」を聴いて、各世代のHIP HOPヘッズが「自分にとって何故、HIP HOPが魅力的なのか?人生をかけて追求できるモノなのか?」というようなことを考えるキッカケになれば、MEGA-Gも本作を作り上げて本望だろう。
 
 
 
 
■MEGA-G君はレコーディング・アーティストとして10年を超えるキャリアがありますし、作品のリリースも多いですが、“オフィシャル・アルバム”という括りで言うと「Re:BOOT」が初めてのアルバムなんですよね。だから、意外とこれまでのインタビューなどでMEGA-G君自身にフォーカスしたものってあまりなかったな、と思って。
 
「あー、そうかもしれないですね」
 
 
■僕自身、JUSWANNA以前のMEGA-G君は、10代後半にUBGの練習生だった、という経歴以前はほとんど知らないんですよね。MEGA-G君の「B・ボーイ人生」のスタートはどんな感じだったんですか?
 
「子供の頃から、TVを付けたら『ゴーストバスターズ』のエンディングがRUN DMCだったりとか、世代的に、映画とかを通して触れる機会が結構あったんですよね。そうやって、ブラック・ミュージックへの興味が増してきたタイミングで、中学の同級生のお兄ちゃんにDJやってる人がいて、その人に俺がHIP HOPに興味があるっていうのを嗅ぎつけられちゃって、毎晩のように家に呼び出されて『このレコードを聴け。このヴィデオを観ろ』とかやらされた結果、始まってしまったっていう(笑)。(聴かされたのは)イーストコーストのHIP HOPが中心で、日本語ラップは一切聴かせてくれなかった。でも、唯一聴いてよかったのはMICROPHONE PAGERでした。『それは認める』みたいな(笑)」
 
 
■その頃、TVなどでスチャダラパーや“DA・YO・NE”のような日本語ラップは聴いていたと思いますけど、ハードコアなHIP HOPで言うとMICROPHONE PAGERがスタートだったんですね。
 
「あと、レゲエだとBOOGIE MANさんの“パチンコマン”とか。当時は知識もまったくなかったから、アレもHIP HOPだと思ってたぐらいでした。ちなみに俺は、“パチンコマン”よりもカップリング曲の“4 SEASONS LOVER”って曲の方が好きで(笑)。その辺りからレゲエにも興味を持ち出したんですよね」
 
 
■なるほど。じゃあ、MEGA-G君が時折垣間見せるラガ・フレイヴァーの源流は……。
 
「ルーツにはBOOGIE MANさんがいますね」
 
 
■BOOT CAMP CLIKとかみたいな、ラガ感のあるHIP HOPアーティストとかではなく。
 
「ジャパレゲから、ですね。さっき話したDJの人の友だちにレゲエのセレクターの人がいて、ジャパレゲの7インチをスゲェ持ってて、ミックスとかも聴かせてもらってましたね。だから、『横浜レゲエ祭』とかも大きくなる前の横浜BAY HALLあたりでやってた頃に連れてってもらったりしましたね。何なら15歳ぐらいの頃は、(進路を)HIP HOPシーンにするかレゲエ・シーンにするか迷ってたぐらいです。ただ、どっちに行くにしても共通してたのは、取り敢えずお金がなかったからターンテーブルとレコードは買えない、ってことで。ダンスやってる友達が結構いたんで、練習してる場所でダンスのステップとか見ても、『この体型だとダンスは出来ねぇなー』って(笑)。で、『グラフィティかラップだな』ってなって。やっぱり95~96年頃に一気に日本のラッパーが出て来たから、どんどん面白くなっちゃったんですよね」
 
 
■最初にMICROPHONE PAGERを聴いたときの感想は?
 
「単純に、『日本語でラップやるとこういう感じなんだー』っていう。外国のラップしか聴いたことがなかったから、“驚き”っていう感じでしたね。まず、何を言ってるのかが聴き取れなかったから何回もリピートするんだけど、聴き込んだところでリリックの内容も理解できなくて、早速疑問の壁にぶつかりました(笑)。韻を踏むことも全然知らなかったから、最初はなんとなくな感じでやってたんですけど、高校に入る前後ぐらいの時期にメシアTHEフライと知り合ったんですよね。彼はすぐ高校を辞めちゃって大森のコンビニで働いてたんですけど、そこで地元のスケーターたちとリンクしてて、ストリートの情報をいっぱい持ってたから俺も教えてもらいに行ったり。で、それがいつの間にか一緒にラップをやることになるんですけど、その頃、彼は既にグループをやってて。SEEDA君の『DETONATOR』が出た時期だったんで99年ぐらいですね。メシアが渋谷VUENOSでリリパをやるからって、遊びに行ったらMACCHO君とか四街道NATURE、タイプライター君とかがライヴやってましたね。今でも忘れないんですけど、俺は遊びに行っただけなのにマイク・アキラさんに『今日のライヴ、カッコ良かったです』って言われて(笑)。あの頃からあの人は“イル・ボーイフレンド”だったんだな、と……(笑)。UBGの練習生になったのも99年頃ですね」
 
 
■UBGと言えば、やはりライミングという概念を押し出してたクルーだったわけですけど、聴き始めの時点で押韻の魅力には目覚めていたんですか?
 
「MICROPHONE PAGERでもライムはありましたけど、最初はTWIGYさんのフリーキーなラップに惹かれてたんですよね。押韻に目覚めたキッカケは……『悪名』かなー?ラッパ我リヤとかT.A.K THE RHYMEHEADさんみたいにしっかり韻を踏む人たちの曲を聴いたときに衝撃が走って。『なるほど、聴き心地が良いのは韻を踏むからなんだ!』って。そこから自分のラップも3文字~4文字とかケツで踏むようになって、最終的に1小節丸ごと踏むとか、ワケ分からないことまでやり始めるんですけど(笑)。そこで『塩梅って必要だな。ただ踏めばいいってモンじゃないし、もっと意味のあるライミングが出来たらカッコ良いんだろうな』とは、そのときから漠然と思ってましたね」
 
 
■韻を踏む上で、一番最初に参考にしたラッパーって誰なんですか?
 
「ラッパ我リヤかもしれないですねー。キングギドラより我リヤでした。我リヤの方が、より『日本語で踏んでる感じ』があったんですよ。Kダブシャインさんは日本語にフォーカスしてましたけど、Zeebraさんはどちらかというと洋楽のノリをどれだけ日本語に落とし込められるか?ということを目指していると、当時の俺は思ったんですよね。『どれだけ日本人が聴いて理解できるのか?』と考えたときに『誰に向かってラップしてるんだろう?俺、日本人相手にラップしてるのに、英語頑張ってもなー』って思ったんですよね。その頃に聴いたラッパ我リヤが、自分の中ですごいそれを出来ている感じがして。Qさんはストーリーもしっかりしてたし、曲の内容も、あんな見た目……って言ったら失礼ですけど(笑)、恋愛ソングとかあったりとか。『韻を踏むことの面白さ』は、走馬党から教わりましたね」
 

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