INTERVIEW:

梅田サイファー

「みんな、社会からしたらタブーにされてたり、フタをされてる部分をいろいろ持ってるんですよね。でも、それを開けて、ユーモアとライムでどう昇華していくかっていう集団でもあるから、マイノリティの人間が救われる場所でもあったんですよ。『自分の持ってるマイノリティ性をラップで表現したらこんなに武器になるんや、こんなにみんな笑顔になってくれるんや、じゃあ、ここにおってええんや』ってことを気付かされたんですよね」 -- KZ

umeda_top

上段(LtoR):peko/ILL SWAG GAGA/Cosaqu/KBD/ふぁんく/コーラ/ハッチ
下段(LtoR):OSCA/R-指定/KennyDoes/KZ/KOPERU

 
「インタビュー、何人揃うかは分かりません」
 
 これが今回のインタビューの窓口になって骨を折ってくれたKZから、オファーの際に伝えられた言葉である。その通り、梅田サイファーは、アルバムの制作やライヴは行なっているものの、“グループ”や“クルー”ではなく、「個人の集まり」であり、今回インタビューに登場して頂くコア・メンバーはいるものの、その総員はサイファーという性質上、当然ながらハッキリとカウントは出来ないという。
 
 もう一点、KZの言葉を引こう。
 
「俺らは“クルー”じゃないんで、だからこれから出る(客観的な事実関係以外の)メンバーの意見は“総意”じゃなくて、『それぞれの人間の考え』なんです。その上でインタビューしてくれると嬉しいです」
 
 それもまた「個人の集合体」であることを示す言葉だろう。しかし、彼らのニュー・アルバムとなる「Never Get Old」での、構築度の高いリリックの構成や、それぞれの指向性の違いはあれども固いライミング、“マジでハイ”に聴けるような密度の高いマイク・リレーなど、グループという名義ではないものの、そこには確かな“結束”が感じさせられるし、その結束こそ、彼らが梅田の歩道橋の上で培ってきたものだろう。
 
 1時間半のインタビューということで、梅田サイファーの全体像のごくごく一端しか明らかになっていないかもしれないが、日本屈指のスキル集団がどのようにして形成されていったのか、その理解の一助になれば嬉しい。
 
(今回のインタビューには、peko/ふぁんく/KBD/KennyDoes a.k.a doiken/KZ/KOPERU/R-指定/ILL SWAG GAGA/コーラ/OSCA、エンジニアのCosaquが参加)
 
 
R-指定「これからインタビューやから。収拾つかなくなるから(インタビュー開始前、ふざけてる他のメンバーに注意するR-指定)」
 
KZ「……ちょっとアイツ、業界人っぽい感じになってるな。イヤやわ~、染まってるわ(笑)」
 
R-指定「ちゃうちゃう。単純に近所迷惑(笑)」
 
KZ「いや、ここは勝負やろ、俺らとAmebreakの」
 
 
■勝負の仕方が間違ってる気もするけど(笑)。今回は梅田サイファーとしてお話を伺いますが、こういった形でのインタビューは、これまでにありましたか?
KZ「いや、梅田サイファーとしてインタビューを受けるのは初だと思いますね」
 
 
■その意味でも、全国に名前は轟いている梅田サイファーですが、その情報はR-指定君をはじめとする、それぞれのメンバーが断片的に語ってきた部分が強いと思いますので、今回は改めて発足の部分からお話を伺えればと思います。
KZ「よろず君とあきらめん君っていうラッパーがいて、そのふたりが『ENTER』(韻踏合組合主催イヴェント)でふぁんくと出会って、『サイファーやろう』って始まったのが2007年の5月頃ですね」
 
ふぁんく「『ラップがもっとしたいな、じゃあサイファーかな』っていう話になって。それで、梅田は大阪のターミナルだし、集まるにもよかったんで、そこで週イチで集まってラップ/サイファーしてみよう、っていうことで始まったんですよね」
 
KZ「その3人がmixiで梅田サイファーの情報を上げて、俺はそれを見つけて参加したんですよね、2回目から。だから、参加するまで面識はなかったんですよね。でも、いまやみんなマイミクやんな(笑)」
 
KOPERU「梅田サイファーはマイミクのオフ会?(笑)」
 
KBD「mixiっていうのがよかったのかも。Twitterだとフォロー・ボタン一発やけどmixiは承認制やから、『これこれこういうもんで』っていうのをちゃんと説明しないとマイミクになれなかったし、そこが自己紹介になったかも」
 
peko「俺もmixiでコミュニティを見つけて観に行ったんですよね。それでKZに出会ったらスゲェ態度悪くて(笑)。で、最初は全然打ち解けれへん感じやったんですけど、僕が梅田で立ち上げた『アマチュアナイト』っていうイヴェントに遊びに来てくれたり、ふぁんくとKZがライヴをふたりでやり出した時期だったんで、そのイヴェントにブッキングしたり。そうしたら、更にそこにJapidiot(テークエム/tella/鉄兵/コマツヨシヒロ〈現:OSCA〉/HATCH)だったり、コッペパンになっていくKOPERU/R-指定/KennyDoesとかが遊びに来てくれて。高槻POSSEというグループが僕にはあったこともあって、関わり方としては、梅田サイファーとイヴェントを繋げたり、ちょっと外側から見るようなの感じでしたね」
 
KOPERU「僕も知ったのはmixiかモバゲーでしたね。テームエムさんがモバゲーでネット・ライムとかしてたり」
 
R-指定「俺もテークさんやKOPERU君とはモバゲーで繋がったし」
 
KBD「意外とネット・ライムをやってたラッパーって多いよね」
 
KOPERU「僕らの世代は『ヒダディーひとり旅』とか『UMB GRAND CHAMPIONSHIP 2006』のDVDを観て衝撃を受けた人が多くて、僕もそのひとりで。だから、『ラップをやってみたい』『サイファーに参加したい』っていう気持ちが強かったんですよね。僕が最初に行ったサイファーは梅田じゃなくて、アメ村の三角公園でやってたサイファーで、そこにはKZさんがいて。それで最初はあらかじめ書いてきたラップをしてたんですけど、サイファーが回っていく中で自分の持ち玉がなくなって、そこで初めて完全即興でやってみたり。その流れで梅田サイファーにも参加するようになったんですよね。それが2007年の夏。15歳だったと思いますね」
 
KZ「だから、KOPERUはめっちゃ早くから参加してるんですよね。ふぁんくが2008年の3月に『ENTER』で優勝して、梅田サイファーの名前がちょっと広がる前」
 
R-指定「俺が梅田に参加したのはふぁんくさんの優勝の年ですね。最初はYouTubeの動画で梅田サイファーを知って、地元の友達だったラードってヤツと観に行ってたら、『ENTER』で優勝してたふぁんくさんとKOPERU君、準優勝してたペッペBOMB君がおって『ヤバッ!』みたいな(笑)」
 
OSCA「僕はKOPERUにモバゲー経由で誘われたんですよね。僕がモバゲーのHIP HOPコミュニティの管理人をやってて、それでKOPERUが話しかけてくれたのが縁で」
 
KBD「ふぁんくの『ENTER』優勝は大きかったと思う。俺もそのときは客として観てたんですけど、ヤンキーや不良ではない、こんな人らがおるんや、って。それで、その人たちが梅田サイファーをやってるって知って、足を運んだんですよね」
 
KOPERU「最初はサイファーの動画を撮ってましたもんね」
 
KBD「そうそう。僕がラップを始めたのは25歳で遅いから、なんとか追いつかなっていうので、まずは学ぼうっていうのもあったし、単純にどんな人たちがおるんやろうっていうのも興味があって」
 
KZ「その頃ってどんな空気やった?どんな空気感やったかあんまり覚えてない」
 
KBD「もっとトゲトゲ、ピリピリしてた。特にふぁんくとKZがすごい……」
 
R-指定「尖ってた~(笑)」
 
KBD「KZ・ザ・リッパーでしたよ」
 
KZ「マジでダサイやんけ(笑)!」
 
ふぁんく「尖ってたって言い方はイキってるみたいで好きじゃないけど」
 
KZ「でも、ピリピリはしてたと思う。自分ら以外はダサいと思ってたし、『俺が一番/俺らが一番』っていう気持ちが、今よりも剥き出しだったと思う。HIP HOPをライターが扱うときの取り上げ方って、ドラマとか生き様とか」
 
KennyDoes「ストーリー」
 
KZ「それもそうやな」
 
KennyDoes「バックボーン」
 
KZ「……もう俺が喋ってええ(笑)?そういうバック・グラウンドばっかり取り上げられがちやし、それがないと良いラップが出来ない、みたいなイメージがあったと思うんですよ。それに対する反発心は強かった。例えば『ラップの技術論』って、ライターはあまり語らないじゃないですか。分かりはれへんのか、踏み込まないのかは分かりませんけど、技術の話よりも生い立ちやストーリーの方を重視する」
 
ふぁんく「生い立ちも、貧困だったりドラッグだったり、目に見えるような話が多くて。でも、みんなそれぞれに抱えてるものはありますよね。例えば僕は、一番上のお兄ちゃんが腹違いで精神の病気にかかってたり、っていう家庭環境があったりするけど、それはあまり顧みられなくて、ハスリンとかドラッグみたいな、法を犯すような悪い部分にばかり注目しがちで。そういう風潮に抗いたいっていう気持ちは強かったと思う。俺らだってそれぞれいろいろな問題抱えてるけど言わんだけやから、って。別の方面では“黒い”とか“アンダーグラウンド”みたいな、ボンヤリした定義も多くて。『それって違うんちゃうか』と思っていたし、それよりも『いま出来る一番カッコ良いラップをするのが正しいやろ』っていう意識が、支配的だったと思う」
 
 

To Page topTo Page top