INTERVIEW:

SKY-HI

「ラップがポップスとして、ポピュラリティを得ることの出来る音楽として浸透してきたことで、以前はよく言われた『ラップなのにあんなエンターテイメントが出来て凄い!』ってことが言われなくなってきてると感じるんですね。10年以上、SKY-HIとしてステージに立って、そういう時代が来たんだと思うし、本当の意味で、ラッパーがそのままの姿でキャッチーな存在になれる時代が近づいてきてるんだと思う」

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 現行ビートやポリティカルなメッセージ性を内包し、HIP HOPというモードに対してコンシャスな内容となったフリー・ダウンロード作「FREE TOKYO」。そして、蔦谷好位置と亀田誠治という、J-POPシーンの屋台骨を支えるプロデューサーを迎え、大人から子供まで楽しめる作品として完成したシングル「Snatchaway / Diver’s High」。SKY-HIの2018年前半の作品を振り返ると、非常に振り幅の広い、そして相反した作品をリリースしてきたことを感じさせられる。
 
 その上で、2019年12月にリリースされた4枚目となるアルバム「JAPRISON」。そこで立ち現われたのは、自身と向かい合い、そのインナー・スペースを内観しながら、結果、その世界を反転させ、他者の存在するアウター・スペースへと結合させるSKY-HIの姿だった。
 
 その意味では、今作は前作「OLIVE」に見られたような、リスナーを先導するような、くっきりとした世界観ではない。それよりも“自己”という、自らが認識する対象の中で最も掴みどころのない“認知”というセンサーを歪ませたり、騙したり、すり抜けるような“自我”を必死で掴もうする、SKY-HIの“もがき”が非常に印象的だ。そこからも、切り取られた自らの頭部を抱えるというジャケットのヴィジュアルからも、死や再生ではなく、自らの認識を司る器官を愛おしく抱きしめているようなイメージを覚える。
 
 脆弱な自己を再認識し、愛おしむことでこの閉塞を打ち破らんとする「JAPRISON」。その“弱さ”は、強い。
 
 
■今回の「JAPRISON」というタイトルは、非常にショッキングなタイトルだと感じました。それは「FREE TOKYO」という、ポリティカルさを内包した作品がリリースされていたから余計にそう感じたし、その流れを汲んだ、非常に政治的な内容になるのかと思ったんですね。例えば「FREE TOKYO」で描かれた“STORY OF “J ” ”のような。
「そういった作品を今までも出してきたけど、そこで感じるのは『コンシャスとかポリティカルなものって危ない』ってことなんですよ」
 
■それは政治的なメッセージをすることによる危険性ってこと?
「ではなくて、ポリティカルなモノを書こうとすると、見る対象が“社会”になってしまって、社会は人が作っている筈なのに、逆に人を見なくなるような現象が起きてしまう。言ったら、『森を見て木を見ない』みたいな。でも、森だって青々とした木もあれば、朽ち果てようとしてる木もあるわけで、それを“森”という単なる総体だけで見てしまうのは、実は危険なことだと思うんですよね」
 
■その意味では、社会を書くために、人がそのための道具やパーツになってしまうというか。
「言葉数の多いラッパーは、よりそういう表現に気を付けないといけない、と思って。だから、『人として人に接している』という意識を、よりちゃんと持とうと思ったんですよね。『JAPRISON』というタイトルが浮かぶような、日本にイヤなムードを感じているのなら、そのムードをそのまま書くんじゃなくて、ムードの中にいる人のことを書かないといけないと思ったし、人と向き合い、自分と向き合うような内容にしないと嘘くさいモノになってしまうな、って」
 
■だから、タイトルからのイメージに反して、ポリティカルさよりも内面性や内省性の強い作品になっていたのにも驚いて。
「今回のタイトルは、制作前には決まってたんですよ。『FREE TOKYO』を出したときには、もうこのワードは浮かんでいて。ただ、浮かんだのはいいけど、このタイトルにそのまま引っ張られるとポジティヴな内容にはなりそうもないな、って」
 
■“JAPAN”と“PRISON”の組み合わせがパッとイメージされるから、そこからはネガティヴなイメージが広がりがちですね。
「それでタイトルを変えようかとも思ったんですけど、『JAPRISON』からは『JAPanese Rap IS ON』(日本のラップはイケてる)という言葉も浮かんできて、そのイメージがあればポジティヴな内容に出来るかな?って。『FREE TOKYO』や“キョウボウザイ”はフリー・ダウンロードでリリースしたものだったから、クリティカルだったりポリティカルな内容になることに問題はなかったんだけど、『JAPRISON』は売り物としてリリースする作品だから、後ろ向きなモノにはしたくなかった。だから、(『JAPRISON』というワードが浮かんでしまうような)この閉塞感をそのまま書くんじゃなくて、その閉塞感を打ち破れるモノをどう出せるか、っていうのが、制作初期のイメージでしたね」
 
■ただ、“閉塞感”は間違いなく感じてる、ということですね。
「そうですね。文化的/社会的な閉塞感は間違いなく感じているし、その閉塞感から目を逸らさないでどうにかしたい、ってことは考えてましたね。ラップ・シーンに関して言っても、アジア勢のラッパーがこれだけ盛り上がって、世界のラップ・ゲームの中でしっかりと注目を集めている。でも、その中で、日本のシーンはその蚊帳の外にいて。逆に、日本の枠組みからパッと離れたKOHHは、日本語を使ったまま世界的に注目される存在になってますよね」
 
■昨年に関して言っても、KOHHは88risingのツアーに参加したり、マライア・キャリーの「Caution」に“Runway feat. KOHH”を提供しましたね。
「そういった、世界の音楽シーンにおける『WITHOUT JAPAN』のような文化的閉塞感もそうだし、音楽関係なく『どうも今の日本は生き辛いぞ』って感じることが多くて。実際に、日本人の幸福度は他の国に比べて非常に低いっていう調査上のエヴィデンスも出ているし、そういうデータを見なくても、体感的に、例えば街を見てもそれを感じる。でも、『日本は不幸だ』なんてことは言いたくないから、そう見えてしまうのは自分のペシミスティックな感情によるものなのかな?とも思ってたけど、長友佑都のツイート(注:2018年1月7日に長友が投稿した『日本帰ってきたけど、猫背で、表情暗い人かなり多いなぁ』から始まるツイート)を見て『やっぱりそうなんだ』って。ツアーで日本中のライヴ・ハウスを回って、明るい街だったり、ライヴ会場で出会った初対面同士が話してたりするのを見ると、日本全体が一概に暗いとは思わないし、毎日楽しくてしょうがない人もいると思う。でも、閉塞感を感じている人は増えてるように感じるし、その数は、もう捨て置けない数になっているんじゃないかな?って。そして、その責任の一端は、音楽や芸能にもあるように感じるんですよね」
 
■でも、音楽を聴いて気が晴れるという部分も当然あると思うんですが。
「正にそこで、音楽や芸能が『一時的に』享楽するための“ドラッグ”としての役目しか果たせてないんじゃないかな?って。もちろん、享楽的な存在は必要だと思うし、ライヴやイヴェントを楽しんで『明日も頑張ろう』となるとか、日常の大変さを忘れるっていうのはまったく間違ってない。でも、そういうモノしかない状況は、危険だとも思うんですよね」
 
■根本的な解決じゃなくて、鎮痛剤みたいな、対症療法しかないというか。
「でも一方で、そういった閉塞的な状況に対して『それはヤバイよ!』っていうようなアルバムを作りたくなかったんですよね。それよりも、そういう閉塞感に対して、クリティックだったり、冷笑や皮肉ではない形で、このプリズンから抜け出すための作品を作りたい、って思ったんです。そう考える中で“New Verse”という、冷笑や皮肉ではないものが出来たことで、作品がどんどん広がっていって」
 

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