INTERVIEW:

YOUNG FREEZ

「俺が音楽を通して提供しているのは“雰囲気”だと思ってるんです。だから、その“雰囲気”を極める必要があると思った。そういった“雰囲気”に焦点を当てて制作したという意味では最初の作品なんで、俺にとってはコレが本当の意味での1枚目のアルバムになるのかな?って」

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 東京の下町エリアが地元であり、2015年には1stアルバム「BE FAME」をリリースしたYOUNG FREEZ。「BE FAME」やその時期の諸作からは、彼の持ち味であるクールな語り口と、詳らかではないが確実に心に刺さる言葉選びのリリックが個人的には印象的で、筆者以外にも彼を「期待のヤング・ガン」として捉えていたリスナーも少なくないだろう。
 
 だが、「BE FAME」以降のYOUNG FREEZの(楽曲制作面での)活動は、決して活発なものではなかった。その理由は後述するが、数年に渡る試行錯誤を経て、自身のスタイルの“軸”や志向性がより明確化された結果、産み落とされた新作がニュー・アルバム「YOU.」だ。
 
 先行リリースされたEP「HONESTY」の時点で既に顕著だったが、今作は「BE FAME」とはまったく聴いた後の感触が異なる作品だ。それは、大幅に増えたメロディ/歌による部分が大きいだろう。そういった歌唱法を会得した結果、より楽曲に自分が狙った“ムード”を落とし込むことに成功している。また、そういった“ムード”を表現するために彼が紡ぐ言葉から漂う詩情も、今作のクオリティの高さを考える上で重要な要素だ。
 
 聴感的には近年のアーバン・ミュージックの流れにある作品だが、彼のリリックが持つリリシズムも加わり、近年氾濫気味のメロディアスTRAPとはまた一線を画す仕上がりとなった今作。今後の彼の活動への期待感も上げさせてくれる一枚と言えるだろう。
 
 
■1stアルバム「BE FAME」が2015年のリリースなので、2ndアルバムである今作が出来るまで時間が空きましたね。
「前作『BE FAME』に関しては……正直、つまらないモノを出してしまったな、っていう感じですね。本当は出したくなかったんです。ビートも集まらなかったし。元々、俺がやりたかったラップ・スタイルがあったんですけど、そこにスキルが追いつかなくて表現しきれなかったアルバムなんです」
 
■あ、そういう位置付けなんですね。
「あの時点で自分がやれたことはやったと思うし、タイミング的にもあそこで出しとかないとそのままフェード・アウトしちゃうタイミングだったと思うんで、リリースしたんですけど……あと、あのときは言葉が出て来なくて、リリックが書けなかったですね。日本語しか分からなかったし。あの頃は、まだ(リリックが)日本語中心+16小節 x 3ヴァースみたいな時代だったじゃないですか」
 
■確かに。今は1ヴァース12小節が主流になってきましたね。
「16小節を書き切るのが、当時は本当にキツくて(笑)。前作収録曲の“Wait Is Over”は12小節構成だったんですけど、当時からそのスタイルが自分的には良くて。16小節ってやっぱ、長いじゃないですか?」
 
■現行のTRAPのようにBPMが遅くなると、16小節だと長く感じますね。
「そうなんですよね。作ってる側の自分からしても結構キツくて」
 
■あの当時にFREEZ君が理想としていたスタイルを具体的に説明すると?
「今回のアルバムではちょっと英語を増やしたりしたんですけど、メロディ・ライン的にUSと近いモノを出したかったんです。だけど、表現力だったり英語が分からなかったりとかで出来なくて(笑)。結果、ああいうスタイルで出しましたね」
 
■「BE FAME」は、メロディアスなTRAPのような曲というより、比較的オーセンティックなサウンドが主体だったと記憶しています。確かにFREEZ君の周辺には、以前からJAZEE MINORのように歌を取り入れたスタイルのラッパーがいましたけど。
「あ、それもあったっす。彼とふたり、同じチームとしてやってきたところがあったし、彼がそういうスタイルをやってたから自分はオーセンティックなラップ・スタイルをやる、っていう(クルー内でキャラ分けする)意識は多少あったっすね」
 
■あと、FREEZ君は地元である東京・下町の系譜 — FREEZ君の先輩にあたるLUCK ENDとか、今作でも参加しているT2KやZEUSといった「若き血」世代という文脈もあるから、僕もそういった現場叩き上げのゴリゴリ目なラッパーというイメージを少なからず持っていました。
「ギャングスタ・ラップ/ハスラー・ラップが流行ってた頃 — SCARSとかが流行ってた頃は、“痛み”を歌うことがとても多いシーンだったじゃないですか」
 
■「“痛み”を歌うことがとても多いシーン」(笑)。でも、確かに。
「俺もそつなくそういうスタイルをこなしてきたし、家庭環境だったり自分が置かれているストリートの環境もそうさせたのかもしれないんですけど、それは本来、俺がクリエイトしてやり続けたいことじゃなかったんです。時代がそうだったからそのスタイルを取り入れたし、実際にそういう場所にもいたからそういう風に見えてたんだとは思うんですけど。自分は昔からメロディアスなものも好きだったし、最初にラップを始めた頃は、ジャズをサンプリングしたビートとかも好きだったタイプでした」
 
■なるほど。確かに「BE FAME」はFREEZ君のそういった要素/バックグラウンドが完全に反映されたアルバムではなかったですね。
「今作が自分にとって『振り切った』ポイントになるんだとしたら、『BE FAME』はハスラー/ギャングスタ・ラップとかが流行ってた時代から今のスタイルに振り切る“狭間”のポイントで出しちゃったアルバムなんですよね」
 
■あー、自分的にもシーン的にも“過渡期”だった、と。「BE FAME」がリリースされた2015年頃は、今ほどメロディアスだったりエモいTRAPも流行ってなかったし、TRAPスタイルもKOHHが流行らせ始めたぐらいの時期ですからね。「BE FAME」は、今にも通じるクールな語り口の裏側に野心的な熱さも窺える内容だったと思うんです。だから、あの時点では継続的に作品を発表していくモチヴェーションは高かったんですよね?
「モチヴェーションはもちろんありました。だけど、リリース・スパンが空いたじゃないですか?『BE FAME』を出した数ヶ月後にレコーディングしたんですよ。それはJIGG君のビートでやったんですけど、それがクソダサくて(笑)。それが、今作の一曲目“NOW OR NEVER”のビートだったんですけど、『BE FAME』で作ったモノより更に納得できないモノが出来てしまって、『ちょっとマズイな。一回レヴェル・アップしに行かないと』と思って。で、留学したんですよね」
 
■留学してたんですね。どこに行ったんですか?
「短期間ですけどね。自分、当時は外資の会社勤めだったんですけど、1ヶ月有休が取れてフィリピンに語学留学しに行きました。朝から夜まで、マンツーマンで英語の勉強して」
 
■そういえばKOHHも、デビューした時期にフィリピンに語学留学してましたね。
「あ、正にそういうヤツです。彼はマニラに行ってて、俺もその話は聞いてました。俺はセブ島でしたね。で、あっちで勉強しながら、また同じビートで制作し直したりしてました」
 
■1ヶ月の留学を経て、どのような変化がありましたか?その経験は自分にとって良かった?
「超良かったし、『また勉強したいな』って感じっすね。語学力はホント、ちょっと英語を喋れるようになったぐらいな感じなんですけど、今ってサビに載せる英語って結構簡単な言葉でもいいじゃないですか?それぐらいは出来るようになった。で、その言葉が自分の作るメロディ・ラインに当てはめられるようになってきたんです。そこから、曲を作るのが簡単になってきた。だから、今はすぐパンパンと言葉が出て来ますね」
 
■じゃあ、「BE FAME」以降に陥ったスランプのようなモノに関しては、結構すぐ抜けられたということですね。
「わりかし、すぐですね。だけど、日本に帰ってきてからもレコーディングしてなかったんですよ」
 
■何故?
「いや、なんか……車買おうと思ってて(笑)。仕事しながらジープでも買って、アルバムはまた適当に出して、ぐらいな感じで考えてたんです。で、その時期にあった新年会でELIONEと知り合ったんですよ」
 

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