INTERVIEW:

KIKUMARU (KANDYTOWN)

 

 
■そして、KIKUMARU君は『BBOY PARK』のMCバトルでの優勝や、DEJIとの「CONTRAST」(13年)、孔雀での「6 SENSE」(14年)と、リリースとしても活発に動きますね。
「BANKROLLは超カッコ良かったのにCDとかは出してなかったんで、俺は俺で名前を上げて、名前が上がれば俺の周りにも注目が集まるかな?とは思ってましたね。実際、『BBOY PARK』のタイミングで注目してもらえるようになったし、そこで孔雀はもちろん、KANDYの連中とも曲を作りまくるようになって」
 
■リリースは孔雀の方が先になりますね。
「やっぱり俺が自分で作ったグループだったんで、積極的に動いてましたね。サイプレス上野さんとも繋がって(サイプレス上野主催イヴェントの)『建設的』にレギュラーで出してもらうようになったり、ドリーム開発からもアルバムをリリースさせてもらって。ただ、出して速攻解散しましたけどね(笑)」
 
■あの動きは驚きましたね。
「タイトでしたね」
 
■それを“タイト”と呼ぶのか(笑)。
「俺自身としては解散っていう考えはなかったんだけど、仲間的には解散って形にしたいってことで孔雀を解散して。一方で、同じぐらいの時期にKANDYが本格的に動き出したんですよね。KANDYはホントに幼馴染の集団だから、所属とかグループ云々って感じでもなかったんだけど、YUSHIが亡くなってしまって、それでKANDYTOWNとしてみんなで動き出して、形にしないといけないな、って。俺自身としてもNYに1年ぐらい移り住もうと思ってた時期だったんで、そのときはかなり分岐点だったと思いますね」
 
■NYに移り住んだ理由は?
「YUSHIは中学を卒業した段階でひとりNYに行ったりしてて、その頃から『絶対NYに行け』って言われてたんですよね。それで、俺も20歳のときにM.TとNYに最初に行ったんですけど、そこで完全にヤラれて。以降、毎年NYには行ってたんですよね」
 
■ヤラれたのは、どんな部分で?
「街の雰囲気や、『ここでHIP HOPが生まれたんだ』ってことを実感する空気、とかですね。JFK空港に着いたときからそれを感じました。着いた途端にタクシーでぼったくられたりしつつ(笑)、マンハッタンに行って『とりあえず一旦アメリカのマックを感じよう』ってマクドナルドに行ったら、店内のBGMでエミネムが流れてて、それに合わせて歌いながら店員が対応してるんですよ。それで『うわ!NYだ!』って(笑)。そこで完全にハマって、24ぐらいのときに『住もう』と思ったんですよね」
 
■孔雀の解散やKANDYの結成という流れの中で、「NYに住む」という発想が生まれたのは?
「『仲間と一緒にい過ぎた』っていうのもあると思いますね。ウチのスタジオがヤサになりがちだったから、KANDYも孔雀の連中とも一緒にい過ぎたし、身内ノリになり過ぎてたんで、一旦仲間から離れて、自分自身が何をしたいかを考えないといけないと思ったんです。それで『じゃあ、どこでひとりになるか』って考えたときに、『NYに行こうかな』って」
 
■大袈裟かもしれないけど、「生き方を考える」時期だったというか。
「そうですね。それでNYに住むのを決めた時点で『次のアルバムは向こうで作ろう』と思ったんです。それで出来たのが『ON THE KORNER』。客演曲は日本で作ったんですけど、ソロの“On The Korner”とYUSHIに捧げた“KT4L”はNYで録りました」

■キャリアを振り返ると、1stは“日本語ラップ”という文脈にあったと思うし、孔雀では集団MC的な面白さを提示していた。そして「ON THE KORNER」でより渋い色を提示することで、KIKUMARU君の今に至るスタイルの萌芽が見える作品になり、KANDYとも地続きになっている部分が明確になったと感じました。
「1stは、例えばRHYME&B君(DINARY DELTA FORCE)とかPOCKY(現・PEAVIS)のようなMCバトルで出会った人だったり、自分がファンだったSONOMIさんとか、自分のそれまでの動きの集大成だったと思いますね。でも、2ndの頃はKANDYの動きが始まってたから、意識としてもそことの繋がりがあると思います」
 
■孔雀もKANDYも集団MCではあるけれども、そのアプローチはかなり違いますね。その部分についてKIKUMARU君はどう考えていましたか?
「孔雀はJURASSIC 5みたいな掛け合いやマイク回しを目指してたし、曲の内容の設定も細かく作っていったんですね。でもKANDYは『この音は何色で、こういう時間帯、そして東京』みたいなラフなイメージを素にして、それぞれのメンバーが持ってるイメージを形にしていく感じなんですよね。そういう部分でも違うし、孔雀はやっぱりガチガチの日本語ラップだったと思いますね。孔雀っていうグループ名も、『日本人のグループなら漢字の名前にしよ』うって思ったからだったんで。でも、KANDYはアメリカの音楽やアメリカナイズされた音楽に繋がってると思うし、スタイルや見せ方としても日本語ラップっていう枠で考えていない。その違いは大きいと思いますね。ただ、孔雀でやってたスタイルは、それも自分のひとつの方向性だとは思ってるし、自分はKANDYの中でも日本語ラップの影響が強い方だと思うけど、それがバランスになればちょうどいいのかな?って」
 
■では、「ON THE KORNER」の反響はいかがでしたか?今までの話の通り、「変わった」と感じる部分も強い作品だったと思いますが。
「反響や見られ方は気にしてないんです。そのときに自分が思ったことや興味がある音によって作品の内容は変わってくると思うし、自分が良いと思ったことしかやってないんで、『変わった』と言われても『そりゃまあ変わるでしょ』って感じで。変わらない/自分を確立している人も大好きだけど、自分自身は変わっていく方だと思ってるし、変わっていった方が更に作品が良くなると思うんですよね。それに、仲間が良いと思ってくれるんなら、それでいいんですよね」
 

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