INTERVIEW:

cherry chill will.

「持たざる者だからこその強みというか。それってUSでも日本でもHIP HOPカルチャーのひとつの象徴ですよね。機材のスペックや専門的な知識は、もちろん持っていた方が強みだけど、それを打ち負かすカッコ良さこそがHIP HOPの持つ初期衝動性だと思ってる。だからこそ、写真を撮る上でもHIP HOPに拘りたい」

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 「何をもってHIP HOPとするか」というのは、深く難しい、永遠のテーマだ。
 
 例えば音楽にしても、それがラップの技術的に優れている楽曲だったとしても「コレ、HIP HOPなのか……?」のように、その判断に迷ったことがあるリスナーは少なくないだろう。それはHIP HOPの他の要素にも言えることで、HIP HOPカルチャーから生まれた技巧を駆使した作品は数え切れないほどあり、HIP HOPが一般化/大衆化した現在、ますますその線引きが難しくなってきている。こういった“違い”や「HIP HOPとして正当か否か」という疑問に対して、作品単位で向き合うことは可能だろうが、明快に全てのアートに当てはまる“軸”を示すことは非常に困難であり、人によって様々な価値観でもあるため、筆者も物書きとして永遠の課題だ。
 
 写真や映像というヴィジュアルを表現するフィールドでもそれは同様だ。映像においては、日本でもHIP HOP性を感覚として掴めているクリエイターが増えてきているので、HIP HOP曲のMVでも違和感を得ないしっくり来る作品が近年、増えてきた。だが、写真においては — 筆者は職業柄、10数年に渡ってたくさんのフォトグラファーたちと仕事をしてきたが — 表層的なHIP HOPへの理解を超えた「HIP HOPな感覚」を共有できていると感じた人はそう多くない(もちろん、技術的に優れていたり、クオリティやセンスに秀でている人はたくさんいるが)。
 
 “HIP HOPフォトグラファー”と自らを位置付けるcherry chill will.の写真を初めて見たとき — もう10年近く前のことだが — 日本人の写真家では初めて、海外のHIP HOPアーティストを中心に撮ってきたフォトグラファーの作品を見たときに近い感慨を得たことを覚えている。「上手い写真」とか、そういうことではなく、写真と筆者の目の間に何か特殊なフィルターがかかっているような感覚。「本当の意味でHIP HOPの写真を撮れる人が出て来たかもしれない」と感じたし、以降、Amebreakの撮影でも度々彼にはお世話になってきた。セッション時に具体的な指示をしたりコンセンサスを取らなくても、彼が仕上げてきた写真には常に納得させられてきたし、それが彼の仕事への信頼感へと繋がった。恐らく、彼にオフィシャル写真やライヴ写真などを依頼するHIP HOPアーティストたちも、筆者と同じような感覚を持っているのだろう。漠然とした文章で恐縮だが、写真という、言葉で伝えるのではなく写真自体から発する何かを見る側が感じ取ることを要求するアートだからこそ、言葉にすると必然的に漠然とした書き方になってしまうし、だからこそ「実際に写真を見てくれ」としか言えなくなってしまう。
 
 cherry chill will.が発表した自身初の写真集『RUFF, RUGGED-N-RAW -The Japanese Hip Hop Photographs-』は、200ページ以上に渡り彼が2010年代に撮り続けてきた日本のHIP HOPアーティストたちのライヴ写真/ポートレート/オフショットの写真などが収められた、圧巻の内容だ。そして、この写真集で彼がやりたかったことは、日本のHIP HOPアーティストの貴重な瞬間の数々を記録するというだけでなく、前述したような抽象的な「HIP HOP感覚」を、彼のレンズを通して写真集を手に取った人々に伝えたい、ということだろう。
 
 写真家という視点から見る日本のHIP HOP、というだけでも興味深いエピソードだらけの本稿だが、それと共に、「いちB・ボーイがHIP HOPを生業にする」という視点から読んで頂いても何か伝わるモノがあると思う。「HIP HOPアーティスト」は、ラッパーやプロデューサーを志さなくてもなることは出来るのだ。
 
 
■写真家になるに至るまでの流れは、写真集冒頭のFLJ編集長:大野氏による原稿でも書かれていますが、写真のお話の前にcherryさんがHIP HOPに出会った頃の話、HIP HOPから受けたファースト・インパクトがどんな感じだったか話して頂けますか?
「元々、パンクが好きで、小3ぐらいのときに初めて自分で意識して聴いて。両親がロック・バンドをやってたし、伯父さんがレコード・コレクターだったりして、幼稚園ぐらいの頃から普通に家で洋楽が流れてたんですよね。それで、自分で初めて『CDを買いたい』と思って買ったのがSEX PISTOLSだった。パンクが持つ荒々しさとワケ分からなさ、怒りみたいな感情がカッケェなー、って。HIP HOPを初めて聴いたときの感覚は、パンクを初めて聴いたときの感じと一緒でしたね。最初に聴いたHIP HOPアルバムはPUBLIC ENEMYだったと思います。近くに三沢(青森)の米軍基地があったから黒人の人たちは身近な存在だったけど、当時、青森ローカルTV局の朝番組で洋楽を流す枠があって、そこでARRESTED DEVELOPMENTなんかを聴いて『黒人の人たちがやってる音楽、カッコ良い!』って思い、レンタルCD屋でたまたま借りたのがPEだった。『FEAR OF THE BLACK PLANET』でしたけど、聴いたらスゲェ怒ってるように俺には感じられて。とにかくノイジーなアルバムじゃないですか。『よく分かんないけど取り敢えず怒ってるし、カッコ良い!』って。あと、それと同時にTVで『ダンス甲子園』もやってたから、その流れでニュー・ジャック・スイングとかKRIS KROSSとかも好きになって。HIP HOP/ブラック・ミュージックが持つノリ全体が好きになった。小6ぐらいの頃は『高校生になったら“ダンス甲子園”に出たい!』って思ってましたね。だから、最初はダンスから、なんですかね(笑)。90年代初頭はNBAブームだったから、バスケとかHIP HOPとかが全部リンクしたんですよね。遊びに行くときも『DO THE RIGHT THING』みたいなのに憧れてたから、ラジカセ担いでジーンズ逆に履いてバスケット・ボールを持ってましたね(笑)」
 
■なかなかマセてた小中時代だったんですねー(笑)。その後、DJを始めてラッパーを志すんですよね?
「94〜95年ぐらいですね」
 
■日本のHIP HOPが急速に盛り上がってきた時期ですね。
「モロ影響を受けました。最初に聴いたのはBUDDHA BRANDでしたね。“FUNKY METHODIST”の12インチを聴いて、俺はB面の“ILLSON”にヤラれたんです。それと同時期にキングギドラやMICROPHONE PAGERも聴いて、当時はとにかく日本語のモノを吸収したくてしょうがなくて、レゲエのV.I.Pとかも含め、全部聴き漁ってました。それ以前にもスチャダラパーとかは聴いていたけど、『自分でラップをやろう』という方向には向かなかったんですよね。それよりもUSのHIP HOPが好きだったから、『DJをやりたい!』っていう想いの方が当時は強かった」
 

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