INTERVIEW:

KOJOE

「俺はいろんなところに行ってもしがらみがないし、どんなジャンル -- オタクだろうが不良だろうが関係なく対等に付き合えるんだけど、それは俺に“地元”がなかったりとか、自由に動ける立場だからだったりするわけで。音楽さえあれば、どこに行っても俺のことを迎えてくれる人がいるんなら、『コレ(音楽)自体が自分の“地元”じゃん』って。そこから、『音楽が俺の居場所じゃない?』っていう考えに辿り着いていくというか。別に“場所”に拘る必要ねぇな、って」

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 KOJOEというアーティストは、それこそ「MIXED IDENTITIES」という初期の作品タイトルに象徴されるように、様々な“アイデンティティ”の狭間で葛藤しながら活動してきた男だ。NYでラッパーとして活動を始めた頃は人種というアイデンティティと向き合い、日本に帰国後は、その人種という壁を乗り越えるために会得したバイリンガル・スタイルやUS的な勝ち上がり美学と、日本のシーンとの温度差に挑んでいた。また、シンガーとしての表現においても試行錯誤を重ねてきただろう。多才且つユニークなバックグラウンドが故に陥った彼のジレンマは、そう簡単に第三者が理解できるものではないぐらい根深かったのかもしれない。
 
 だが、昨年リリースされたニュー・アルバム「here」では、そういった彼のあらゆるアイデンティティが全て肯定的な形で表現されている。20名以上に渡る、スタイルもバックグラウンドも様々な客演陣/トラック・メイカーたちと様々な手法やリリックで絡み、時に自由に歌い上げる今作での彼は、実に“歓び”に満ちているように筆者には聴こえる。KOJOEが過去数年、ある種のアイデンティティ・クライシスに陥っていたとするのなら、「here」を通して浮かび上がるのは、それを完全に克服した男の姿だ。
 
 KOJOEが今作で表現している現在地点=hereに辿り着く過程で、どんなマインド・シフトが彼に起きたのか?そういった部分と、今作を作り上げる上でキーとなったアーティストたちとの出会いについてのエピソードなどを軸に語って頂いた。
 
 
■今作を聴いた後に、2年前の『Weeken’』(5lackプレゼンツの不定期イヴェント)でKOJOE君が僕に話しかけてきたときのことを思い出したんです。僕にいきなり、「伊藤君、俺、分かったかもしんねぇわ!」って、屈託のない笑顔で話しかけてきたんですよ。で、「here」を聴いて、あのときKOJOE君が僕に伝えようとしてたことがやっと分かった気がします。“悟り”と言うと大袈裟になるかもしれないですけど、自分の中で何かがパッと開けたと感じた瞬間って、あのぐらいの時期だったりします?
「そうだなぁ、いつぐらいだろう……Olive Oil君と音楽を作り始めて『blacknote』(2014年)を出したけど、あの頃はまだ全然イライラしてたと思う。イライラというか、葛藤してる部分は多少あったし、そういうコンセプトの曲をわざと作ったというのもあるんで。“HH”(15年)を出したときに全てが変わったんじゃないかな?」
 
■“HH”を出したことで、何に気付いたんですか?
「もう、『何でもいいじゃん!』みたいな。それまで — まだ日本に帰ってきたばっかりの頃は、例えばバイリンガルである自分がいて、それに対する向かい風みたいなモノを感じていた……けれども、結局、問題は自分自身にあって。『英語/バイリンガルだから伝わんねぇや』って、自分自身が思っちゃっていた。でも、“HH”っていう曲自体はほぼ英語の曲なのに、『お前はバイリンガルだから』みたいに、食わず嫌いで俺のことを聴かなかった人も日本語ラップが超好きな人も、あの曲はすごい認めてくれた、っていうのがあって。それで、『あ、別に関係ないじゃん』って。『自分自身でいていいんじゃん』って思ったし、曲が良ければ日本語だろうが英語だろうが、どんな括りでも人には伝わるっていうことに気付けた。で、その“壁”を作っていたのは自分自身だったのかな?って。そこから、もう『どうでもいい』というか、自分の中で自由にやれるように解き放たれたっていうのはあったかもしれない。あの曲を作ってたときは特に何かを意識してたワケではないし、感じたままに作っただけなんだけど」
 
■それ以前のKOJOE君の作風と比べると、フリーフォームな印象を受けましたね。
「それまでだったら、例えば歌を使う曲なら本当にR&Bシンガーみたいに歌いたい自分がいて、そういうことにトライしてたんだけど、あの曲は『自分のスタイルでいい』みたいな感じで。作っていたときは分かっていなかったけど、力を抜いて録ってみたらああいうのが出来た。そこから、ライヴとかも全然変わったっすね。例えば、ライヴにお客さんがフィールしてくれなかったら『なんでフィールしねぇんだよ』って、演者としては思うじゃないですか。そういうのも全部なくなった。今までだったら『絶対コイツらは、俺の人生や俺が経験してきたことを理解できないし、いつまでたっても俺は日本じゃ認められねぇだろうな』みたいに、ふてくされてる自分っていうのがいたと思う。そういうのも全部取っ払って、『みんな俺のことを愛してて、俺もお前らのことが大好きだ。ようこそ俺の世界へ!』みたいに、勝手に自分の中で世界が出来ていって(笑)。で、それを信じ切りながらライヴに入り込んで歌うと、みんな喜んでくれた。歌ってる曲は一緒な筈なのに、お客さんの反応が全然違った」
 
■それは大きな変化ですね。以前のKOJOE君は、何か“壁”があるんだとしたら、それを壊したり乗り越えることで前に進もうとしていたのが、最初から自分自身をオープンにした状態で前進するようになった、というか。
「まったく同じライヴ・セットでやったとしても、そのマインドが違うだけでお客さんの反応が全然違うのが見えて。ビックリしたし、『面白いなー』と思ったっすね。人間だって所詮は動物だから、イヤな空気出してたら分かるじゃないすか(笑)。優しそうな人は空気だけで分かるし。それまでだったら、俺をNYから日本に呼んでくれた仲間とかはド不良が多かったし、そういうヤツらは俺のギラギラしたところを見るとキャッキャしちゃうんだけど、やっぱそうじゃない人もたくさんいて。そういう人たちとは“壁”が出来ちゃってたんだな、って」
 
■「blacknote」前後の時期のKOJOE君は、フラストレーションの反映だったのか、会う度にヒリヒリした雰囲気で、緊張感があったんですよね。それを見ていたから、『Weeken’』のときの屈託のない笑顔がすごく印象深くて。
「ハハハ。あの時期に(ピアニスト/プロデューサーの)Aaron Choulaiと出会ったのもデカイすよね。日本では出せないグルーヴと懐かしさみたいなモノを感じて。あと、ジャズだったり俺が詳しくない音楽のクオリティ/領域というか、そういう意味で新たな音楽を見つけられた。プレイヤーで言ったらジャズ・ミュージシャンはオリンピック級じゃないですか。そういう人と演れることが俺の中で超エキサイティングだった。あの『Weeken’』の頃は、また新たに音楽を発見している感じの最初のタイミングだったから、俺的にもスゲェ楽しかったんでしょうね」
 
■Aaronとはどうやって知り合ったんですか?
「元々、AaronがOlive君のファンで、Olive君のビートを勝手にピアノでアレンジした曲をOlive君に送りつけてたりしてて。『そういう人がいるんだよねー』っていう話は『blacknote』制作時に聞いてて、『彼は東京に住んでるから、ヒマなときに一緒に遊んでみればいいじゃん』って話になって。で、知り合ってからすぐ一緒に曲を作るようになった」
 
■人間的にもウマが合うんですか?
「合う。スゲェ優しくて、冗談ばっか言ってるんだけど、スゲェ気を使うヤツでもあって。アイツはパプア・ニューギニアの出身で、あそこは褐色の肌の人たちばっかりだけど、アイツはアルビノだから肌が真っ白。眼もちょっと見えなくて、そういうのもあってか、すごい繊細だし面白いヤツだね。音楽的にも、とにかくピアノがヤバイし、メロディ・センスも俺がすごい好きなツボにハマっちゃった。14歳のときにパプア・ニューギニアから親父さんが住んでるメルボルン(オーストラリア)に引っ越して、ピアノを始めて3ヶ月でジャズのレーベルと契約したようなヤツで、19歳のときにNYの老舗ジャズ・レーベルからアルバム5枚分の契約を結んだり。こないだ、彼とオーストラリアにツアー行ってきたんだけど、メルボルンでやったバンド・セットも大成功で、スゲェ面白かった。英語はもちろん通じるんだけど、驚いたのは、日本語の曲とかでお客さんが超盛り上がってくれたんだ。英語(のリリック)はもちろん言葉が分かるからパンチラインとかで湧いてくれるんだけど、日本語の曲に感動してくれたりとか、『知らないモノを先に知ってるお得感』みたいなモノを大切にしてる街だと思ったね」
 

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