INTERVIEW:

Zeus N’ LostFace

「この音楽を始めたときに『コレでやっていこうぜ』って約束を仲間としたんです。『約束は破るためにある』みたいな言葉ってあるじゃないですか。でも、自分がやり続ければその約束は守り通せると思うんですよ。やってもダメだったら『ゴメン、守れなかったわ』って正直に話せばいいと思います。俺はその“約束”を守るためにやり続けてるだけです。いつ、自分が転んでしまうかは分からないですけど、ここに立てている限りは続けていきたいな、って」 -- Zeus

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 東京 — 特に渋谷/世田谷エリアのハードコアHIP HOPシーンの伝統を受け継ぎ、文字通り現場叩き上げでもあり、シーンをサヴァイヴし続けてきたZeusは、ストリートに根ざした視点から綴っていく、時にはドライで時にはエモーショナルなラップが評価されてきたリリシストだ。自身の作品だとZEUS & BRGK名義での「D.A.W.N」(2012年)以来の新作となるので、そういう意味ではかなり久々のリリースとなるが、その間も絶えずフィーチャリングを通して多数のヴァースをスピットしてきた事実は、彼のラップを評価する同業者が如何に多いか、ということの証左だろう。
 
 そして、新作となる「Scramble」は、Zeusのソロ名義ではなく、BCDMGのプロデューサーであり、過去にZeus関連の楽曲を多数手掛けてきたLostFaceとの共作という位置付けだ。LostFaceの定評ある、サンプリング主体の温もりあるトラックと、Zeusのハード・ボイルドさとエモ、歳を重ねて更に熟成されてきた各言葉の重みとの相性は頗る良い。それに加え、華やかな客演陣もこれまで聴くことの出来なかったZeusの新たな側面を引き出している印象がある。また、近年のライフスタイルの変化が彼のリリックに及ぼした影響も、決して小さいモノではないことが伝わり、Zeusの“進化”……というより“深化”が感じられる一枚だ。
 
 
■Zeus君はフィーチャリングなどでコンスタントにヴァースを発表してはいたけど、まとまった作品となると久し振りですね。
Zeus「そうですね。自分が直接的に関わった作品としては、最後に出たのはBRGKとのアルバム『D.A.W.N』ですね。自分のアルバムだと、2ndアルバム『RAW ORE』が2011年で。ラッパーとして向き合っていた期間だったというよりは、自分の私生活の面で変化がいろいろあった時期で、いろんな曲のリリックにも出て来るように、音楽がメインだった頃と比べると私生活がメインになっちゃってて。ただ、音楽を辞めるっていう選択肢はなくて、音楽は私生活の一部だから、フィーチャリングの話が来たら最大限の努力はしてました」
 
■ここ10年ぐらいの流れで顕著なのは、「作品をコンスタントに出し続けないといけない」的な、義務感のようなモノを抱えているラッパーが増えたと思っていて。Zeus君の周りにもラッパーはたくさんいるだろうし、その中にはガンガン自分名義の作品を出し続けている人もいますよね。
Zeus「(そういう状況に対して)焦りっていう気持ちは自分の中にはなかったし、それは人それぞれのモノじゃないですか。もちろん、出し続けている人は凄いと思うけど、人生、一回しかないし。でも、自分のことを応援してくれる人が周りにいて、自分の音楽を評価してくれる方々もたくさんいたから、それを見ると『あ、俺、もったいないことしてたんだな』っていうことには気付けました。焦りはなかったけど、自分のリリックで散々『人生は一回だけだ』とか言っときながら、『俺って時間をムダにしてたんじゃないか?』っていう反省はあります」
 
■周りの応援してくれる人 — それこそLostFace君も含めだと思うけど — からの後押しや期待に応えたい、という想いも現在のモチベーションに繋がっている?
Zeus「応援してくれる人がいて、その気持ちに応えたいというのもあるんですけど、やっぱり自分の人生でもあるんで、自分が後悔しないような良い作品、ひとりでも多くの人に共感してもらえるような作品が作れればな、って気持ちはありました」
 
■客演で言うと相当な曲数を演ってきたと思いますけど、自身名義の作品となるとまた意味合いは違うだろうし、自分の作品となるとなかなか動けなかったこの数年だった?
Zeus「そこはやはり、極端な言い方ですけど『やり続けてる人』と、俺みたいに『やってない人』の違いというか。やっぱりやり続けてる人って、日に日にその活動がどんどんプラスになっていくけど、やらなければやらないで衰えていくモノじゃないですか、何に関しても。俺が幸いだったのは、運良く自分のことを評価してくれる人間がいて、フィーチャリングをお願いしてくれた人たちがいたから、そこまで(活動が停滞していた)な感じには見えなかったと思うけど、いざ作品をLostFace君と作ろうってなったとき、(制作の)最初の頃は“ブランク”というか、自分のライフスタイルが大きく変化したというのもあって、手こずったところはありました。言いたいことがあまり定まらなくて」
 
■今、話してもらったように、今作はBCDMGのプロデューサー:LostFace君との共作という位置付けですよね。そもそも、最初にこのふたりが繋がったのはいつ頃で、どんなキッカケだったか覚えてますか?
LostFace「Zeusが18〜9歳ぐらいの頃から知ってると思うから、知り合って10年ぐらいですかね。T2KとかがまだBOOT STREET(渋谷のCDショップ)で働いてたときに彼から話を聞いて、それでライヴを観て『カッコ良いな』って思ったのは覚えてますね」
Zeus「そうですね、それぐらいからだったと思います。LostFace君といつ、どのように出会ったかは覚えてないですけど」
 
■ふたりとも東京が地元だし、関わってきた人たちも被る部分がその前からもあったでしょうしね。
LostFace「究極、隣の中学なんだよね?だって、三宿中でしょ?俺、松濤中だから隣の隣ぐらいですよ」
Zeus「ああ、なるほど。区は違うんですけどね。まあ、他にも東山とか池尻とか富士中とかもあるんですけど(笑)」
LostFace「そんなにいっぱい(中学)あるんだ(笑)」
Zeus「子供の頃は、ちょっと離れた場所な感覚だったんですけど、この歳になってみると、LostFace君の通ってた中学と俺が通ってた中学は、自転車で15分ぐらいしか離れてなかった、っていう」
 
■東京以外の読者も多いと思うので敢えて訊きたいのですが、LostFace君は渋谷、Zeus君は世田谷が地元ですけど、自分たちが育ったエリアの環境の違いってあると思いますか?
LostFace「俺は茨城から渋谷に出て来たんですけど、世田谷から渋谷に引っ越してきた先輩もいたんですね。上手く伝わるか分からないですけど、小学生ぐらいだと世田谷の人にとっては、渋谷はちょっと都会なんですよ。だから、世田谷の人ってやたら渋谷に来るイメージがある。茨城にいた頃の俺だったら、土浦に遊びに行くイメージ(笑)。『あそこ、俺、行っちゃったよ?小学生のとき』みたいな。だから、世田谷の人って渋谷でいろんな人と知り合いになることが多いっていうイメージがある。で、その世田谷の中でも(Zeusが育った)三軒茶屋の人は、世田谷の中でもちょっとした“都会感”を小学生の頃からカマしてた」
Zeus「感覚的には、三軒茶屋と渋谷はそこまで遠くは感じないですからね。自分たちが育った街と比べて圧倒的に栄えてるな、というイメージはありました。小学生の頃は、渋谷は一番近場の“遠足地”みたいな感じで、『渋谷に行く』ってなると映画を観に行くって感覚でした。……三茶は“下町感”が強いかな、ってこの歳になって思いますね。居酒屋や商店街も多いし。でも、三茶も変わらない部分がある一方、変化してきてて。三茶は三茶でひとつのカルチャーみたいな感じにはなってるかな、って思います」
 

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