INTERVIEW:

MAHBIE

「『良い感じのフロア』って、そこにちょっと気の利いた面白さがあったり、みんなが良い感じで楽しめる曲があったりするじゃないですか。そういうタイプの曲や感触のある曲も好きなんですよね。だから、そういう曲を自分で作ってみよう、って」

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 もちろんそれは総体の中の限られた一部なのだが、ビート・アルバムというと、とっつき辛かったり、独りよがりな部分を感じてしまうような、「これが理解できるのか!」と試されているような気分になってしまう作品に時々当たってしまうこともあり、聴く前にやや構えてしまう部分もあるのだが、MAHBIEの1stアルバムとなる「SPACE BROTHERS」は、どこか人懐っこいような、温かいような部分を感じる作品だ。そういった部分は、とぼけたようなフレーズや弾き直しであったり、王道のサンプル使い(しかし、それをMAHBIE流に変化を加えている部分も興味深い)から感じるが、ビートはとにかく太く、ザラついた音像はタフな聴感を持ち、しっかりとフロア・ライクな構成となっている。
 
 7インチでリリースされた“Space Brothers feat. 田我流, Bobby Bellwood”や、そのMVでのMAHBIEの姿のように、タフなパンチ(この場合はツッパリか?)はしっかり効かせつつ、どこかキャッチーで可愛らしい彼のサウンド世界にようこそ。
 
 
■MAHBIE君の出身はどちらですか?
「岩手です。岩手の中で転々としてきたんですが、出身は奥州市の水沢になりますね」
 
■音楽的な経験は?
「幼稚園ぐらいのときから中学校までピアノ教室に通ってました。ただ、自発的じゃなくて、習い事として通ってた感じですね。自分から音楽に興味を持ったのは高校のとき。高専に進んだんですが、そこの寮でHIP HOPを聴いてるヤツがいて、それが入り口でしたね。当時、NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDの1stアルバムが出た次の年ぐらいで、みんなニトロにハマって、メンバーのソロ作もみんなで分担して買って聴くっていう(笑)。GAGLEの『3 MEN ON WAX』を聴いたのもそのぐらいの時期でしたね。そこからHIP HOPを聴き始めて」
 
■ラップを聴いてる友達がいたら、一緒にラップを始めたりはしなかったんですか?
「カラオケに行ってラップしたりはしてましたけど、基本的にはリスナーでしたね。それから、岩手で水曜日の夜中にビルボードの番組がやってて、そこで洋楽の情報も得るようになったり、盛岡にあったJazzy Sportのショップにも通い始めたり、クラブにも行くようになって」
 
■それは何歳ぐらいですか?
「19歳ぐらいですね。高専は5年制なので、当時は高校生で。盛岡はレコード屋さんも多くて、当時は5〜6件はありましたね。同じぐらいの時期にクラブにも行き始めて。最初に行ったのはWAAJEEDの来日イヴェントでした。それで大学に入ってから、DJも始めて」
 
■トラック・メイクはいつ頃から?
「DJを始めたのと同じぐらいですね。隣に住んでた人が夫婦でDJをやってる人だったんですけど、『MPCを持ってるけど使ってない』って話を先輩から聞いて。それで、『じゃあ売って下さい!』ってことで手に入れたんですよね。やっぱり『HIP HOPトラックを作るならMPCだろ』っていう意識もあったし、まだソフトよりもハードの方がメインの時期だったんで、最初に使い始めたのは実機でしたね。DJもトラック・メイクも、今までやってきた遊びの中で一番面白かったんですよね。ミックスする/曲を作るっていう“表現”が、とにかく面白くてハマっていきましたね」
 
■最初に使ったネタは覚えてますか?
「『宇宙刑事シャリバン』のサントラの中に、ドープなシンセのネタがあって、それをサンプリングしましたね。まだそのトラックは、探せばMySpaceに上がってると思います」
 
■その頃には既に音源をネットにアップしてたんですね。
「そうですね。でも、友達同士で聴いてる感じで、広がりはなかったですね」
 
■では、音楽的な繋がりは?
「岩手の花巻にBIG-RE-MANさんっていうグループがいて、彼らとちょっとずつ仲良くなっていって。それでDJミックスを渡したり、トラックを渡したりしてましたね」
 
■資料によると、Jazzy Sport MoriokaのCHOKUさんにもトラック集を渡していたそうですね。そのデモ集の名前が「ドスコイ・ビート・サンプラー」だったということですが。
「一時、BIG-RE-MANが解散危機にあって、そのときにMCのKatasukashitさんと始めたユニットがあって。その名前が“相撲ブラザーズ”だったんですよね。そこで作ったビートが『ドスコイ・ビート・サンプラー』だったんです」
 
■今年のRHYMESTER主催フェス『人間交差点』でも、StillichimiyaのライヴのときにMAHBIE君がステージ上でずっとツッパリをしてるという奇行がありましたね(笑)。
「あれは一宮の先輩方の“愛”ですね」
 
■歪んだ愛だな(笑)。話は盛岡時代に戻ると、当時目指していたトラック・メイカーは?
「盛岡時代のフェイヴァリットなトラック・メイカーを3人挙げるとしたら、MITSU THE BETASさん、grooveman Spotさん、J DILLAですね」
 
■それは今回のアルバムの音像からも伝わる部分がありますね。ただ、活動としてはDJの方向が強かったようですね。
「そうですね。盛岡にいるときは毎週どこかでDJしていました。レジデントのパーティもふたつあって、HIP HOPを中心にした『WATER POINT』ではMAD BRIDGEとか地元のグループに加えて、GAGLE/田我流/MONJU/RITTO/SICK TEAM/仙人掌/BIG BENといったアーティストをゲストに迎えたパーティをやってて。もうひとつは、『HEZ VIRUS』っていうベース・ミュージックをベースにしたパーティで。そこにはJinmenusagiのプロデュースなんかをしてるDubbyMaple君たちと一緒にやってますね」
 
■トラック・メイカーとしてラッパーにトラックを提供している数は、現状は非常に少ないですね。
「BIG-RE-MANさんのアルバムに入ってる“ソノサキハ feat. MACKA-CHIN”や、“BUDDHA GORILLA FLOW (MAHBIE REMIX)”ぐらいですね」
 
■それは、作るトラックの方向性がラップ・トラックではなく、インスト・トラックだからですか?
「いや、その分別は考えてなかったんですよね。『良い曲を作りたい』ぐらいしか考えてなくて」
 

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