INTERVIEW:

焚巻 feat. FReECOol

「今までは地下に根を伸ばす、時にダークな音楽をしてきたと思ったんで、自分名義の1stアルバムは根を張って足下を固めてきた分、“光”に向かったモノでありたかったんです。それがこのアルバムの性格になってるんだと思う。今までの作品やライヴ、『ダンジョン』でのイメージを払拭した、『次の段階』を見せたかった」 -- 焚巻

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 『フリースタイルダンジョン』の1stシーズン:REC2-4に登場し、4人のモンスターを撃破。REC2-5で初めてラスボス:般若を登場させたラッパーとして視聴者に鮮烈な印象を残した焚巻。

 現在28歳。10代から現場での活動を展開させ、決して短くはないキャリアを持っているが、リリースの少なさや散発的な活動のため、彼の存在を『ダンジョン』で知ったリスナーも少なくないだろう。その意味では、彼のソロ1stアルバムとなる「LIFE IS WONDER」は、インタビューでも語られる通り、彼にとっての“スタート・ライン”であり、キャリアの新たな一歩を踏み出すこととなる作品だろう。

 トラックだけではなく、アルバムの総合的な部分にも携わったプロデューサー:FReECOolの手がける、芯は強いが柔らかな感触のビート感と、焚巻の今現在を切り取ったリリックは、『ダンジョン』で彼が見せた“熱さ”を良い意味で裏切る平熱な温度感があり、所々に顔を覗かせる毒っ気も含めて「都市の日常」の中にすっとフィットするような心地良さがある。その意味では“熱”や“気合い”のような刺激的だが一過性にも通じてしまう質感よりもよりオーディナリーな表情を見せることで、彼のラッパーとしてのキャリアがこれからもしっかりと続いていくことを暗示させる本作。その構成について、焚巻とFReECOolのふたりに語り下ろしてもらった。
 
 
■焚巻君が育ったのは埼玉・川越ですね。
焚巻「そうです。今も川越に住んでます。ラップを知ったキッカケは、DA PUMPの“if…”ですね。これは真剣なんですけど(笑)」
FReECOol「そうなんだ!初めて聞いた(笑)」
焚巻「9〜10歳ぐらいですね。姉ちゃんが聴いてたんですけど、歌よりもラップのパートが凄いな、面白いなって思ったんですよね。だけど、『そんなの聴いてんじゃねぇ』って友達の兄ちゃんに聴かされたのがキングギドラで、そこから本格的にラップを聴き始めて。地元は何もない町なんで、B・ボーイの先輩がすごくオシャレに見えたし、そういう部分でもラッパーに憧れたんですよね。FReECOol君はどういう入口だったんですか?」
FReECOol「EMINEMの『8 MILE』かな」
焚巻「うわ〜。俺もそう言いたかった(笑)」
FReECOol「それからの“Greatful Days”(Dragon Ash feat. Aco, Zeebra)とか、そういう2000年ぐらいのHIP HOPブームの流れですね。並行してミクスチャー系のバンドもやったりしてたんですが、トラック・メイカーとして影響を受けたのはDJ KRUSHさんで、俺自身もそういうサウンドを志向してました」

■焚巻君が実際に現場に出始めたのは?
焚巻「14歳のときに、池袋のMADAM CARRASってクラブに初めて行って、初めてレギュラーを持ったのは池袋のDoorっていうクラブでしたね」

■そのときはもうJACKPOT ROCKERS(以下JR)のメンバーとして出てたんですか?
焚巻「いや、JRの前ですね。地元の先輩のイヴェントでした。そういった先輩の流れがあって新宿のIZMでMOTOY(現:MOTOWEE)さんにお会いして。当時はHIMUKIさんとのタッグでとにかくぶっ飛んだライヴをやってて、サウンドもラップもすごいイケてて『何だこの人は!』って衝撃を受けて、そこから繋がってJRに加入したんです。それが16歳ぐらいだったと思います。IZMではJOMOさん(ビートボクサー、池袋bed店長)にも出会ったんですよね。当時、いろいろあってラップを止めようと思ってたんですけど、JOMOさんが『アイツはラップ続けさせた方がいいよ』って言ってくれてたのを知って、俺もラップを続けて。その流れで池袋のbedにも出入りするようになっていきました。CHI3CHEE a.k.a HIKICHIさんが(店の)奥で寝泊まりしてる頃ですね。10代の頃は渋谷VUENOSでMADHANDが主催してたイヴェントとか、TK(da黒ぶち)君がオーガナイズしてた春日部のINGってクラブとか、浦和BASEでもライヴしてました」
FReECOol「BLACK SMOKERも出ていたイヴェント『Impression』に出てたのもその当時だよね」
焚巻「そうっすね。16〜17のときだったと思います」
FReECOol「そこで俺は初めて焚巻を観て、『あれで17歳か』って驚いたんですよね。とにかくフロウが完成してたし、『若い子でこんなカッコ良いのがいるんだ。全然他の若手とは違うな』って」

■当時のラップの内容は?
焚巻「あんまり大っぴらには言えないような内容ですね(笑)」

■“焚巻”という名前から連想される内容だと。
焚巻「結構しょうもないことを歌ってました。基本的にはライヴが中心で、ありもののインストでライヴしてました。実際に制作をしたのは、JRの1stアルバム『Jackpot Rockers』(08年)のときですね」

■2009年にはUMBにも出場してますね。
焚巻「その前にDARTHREIDERさんがやってた『3on3 MC BATTLE』にもJRのメンバーとして出てるんですよね。俺がJRに入るか入らないかの時期に、JRが『3on3』にエントリーしてて、JR内で誰が出るかを決める予選をやってたんですよ。そこに俺も参加したら枠を勝ち取れて、JRのメンバーとして出ることになって。JRはとにかくフリースタイルやサイファーをやってたんで、ラップはそこで鍛えられた部分が大きかったです。で、UMBに出たのは埼玉で予選があるっていうのが大きかった。TK(da黒ぶち)君はさっき話に出た池袋Doorのレギュラーで一緒に出てたりもしたし、その彼がバトルで成績を上げていったのも見てたから、自然と空気が入っていきました。それで、UMBが埼玉であるなら出るしかねぇ、って。でも、当時は結構ヘロヘロだったので、記憶が曖昧なんですよね。 食パン食べたら歯が欠けるぐらい」

■相当ヘロヘロだね。
焚巻「16〜20歳ぐらいまでは多分酷かったですね。これまでにリリースした楽曲の中にブラックな部分、ダークな部分があったのはそのときの経験も影響していると思います」