INTERVIEW:

SKY-HI

■リリックの話になると、例えば“リインカーネーション”だと、輪廻の輪を超えた部分から話してるような感じもあったり、全体的に「先導する」立場に立ち位置がある曲が多いと思う。ある意味では閉じた視点性もあった「カタルシス」との違いは、そういう部分にも現われてるのかなって。
「『カタルシス』はメッセージや作品全体をリスナーに『ぶつけに行った』んだけど、今回は望まれているっていう自信があるから、“リインカーネーション”のように『来たよ/一緒にやろう』って言えるんですよね。逆に言えば、前作では『一緒にやろう』とは言えなかった。だから、前作は私小説的な作品になってたと思うし、ボールは自分が持ってた。でも、このアルバムはボールを最初から『一緒に始めよう』って、他者と一緒に持ってると思う。それは、アルバムのキャッチとして提示した『その涙を愛そう』って言葉によく表われてると思って。あのフレーズには主語がないんですよ。そうやって僕の涙か、君の涙かを決めないことで、僕が君の涙を愛することも、君が君の涙を愛することも出来るっていう表現にしたかったんですよね」

■その意味でも、リリシズムよりは作詞能力が今回は際立ってると思う。前作はラップとリリシズムという、「情報を多く乗せられる形式をどう扱うか」ということがテーマにあったとしたら、今回は情報量を落としながら、どうリスナーの想像力を刺激できるかという“作詞”の部分に重きが置かれてるのかなって。
「“17歳”みたいなストーリーテリングは、ラップならではの情報量ゆえに出来た曲だと思うんですね。でも情報量が多いことが、リリックを書く上でマイナスになる部分もいっぱいある。KEN THE 390さんの『軽すぎる言葉じゃきっと風に消えちゃうし、重すぎる言葉じゃ逆に君まで届かない(“届かないWord”)』って言葉が正にそうだと思うし、それを意識的にコントロールしないとなって。日本のHIP HOPがポップスにならないのは、単純にポップスに劣ってる部分が何かしらあるからだと思うんですよね。そのひとつには、ラップであることが枷になってることが多すぎるのかなって。それはリスナーのラップに対する好き嫌いじゃなくて、曲や音楽に対して『フロウと言葉の最適解』が出せていないって部分もあると思う」

■それは歌やラップという表現方法の違いを超えて、単純に「曲に対する正解を出す」ってことだね。
「『ラップ曲だからラップすればOK』って部分に逃げがちな曲も多いと思うんですよね。それはやっぱり惰性だと思う。もっと言えば『ラッパーだからラップする』ってことは、ラップがラップである必要性がなくなるってことでもあって」

■「ラップだからこその表現」を意識しないと、単なる早口と同義になってしまうね、確かに。
「だからフロウに関しても、“ナナイロホリデー”はめちゃラップの歌唱法なんだけど、メロが強いから歌に聴こえる。“Double Down”はラップと歌を明確に分けてるし、“明日晴れたら”はもっとヴォーカル寄りにって意識的に分けてますね」

■ラップの当たりや発声、言葉の使い方自体も穏やかだよね。
「前回は『雲の向こう/怯えた顔の太陽』で始まったけど、今回は『なんだって言うんだい?』ですからね、大分違いますね」

■文語と口語の違いとも近いのかなって。
「会話するような言葉じゃないと今回のメッセージは伝わりづらいし、その人の歌になってほしいから、リスナーが自分に向かって言ってるように受け取って欲しいなって。話し口調が中心だから、強い発声はいらなかった。もうひとつは、喉の手術後、歌唱法と向き合うようになって、ちゃんと発声するようになったんですよね。そこでそれまではリズムとピッチっていう縦軸と横軸がメインだったところに、発声っていう奥行きを入れたことで、3Dなラップになったと思います。声を荒らげた方 — 前作で言えば“AS A SUGAR”みたいな — が、スキルを誇示しやすいし、曲のテーマによっては効果的だと思う。だけど、今回はそういう曲がなかったから、それは使わなかった。だから、当然だけど曲によってその強弱をちゃんと使い分けてると思いますね」

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