INTERVIEW:

仙人掌

「『自分で感じろ』とか『自分で考えれば分かる』とか、そういう風に思わせてくれるパワー/作用がHIP HOPにはあると思うんです。俺がHIP HOPを聴き出した頃は、いろんなアーティストがそういうことを言ってたっすね。今聞くとキレイ事に思えることかもしれないけど、そういうことも言えちゃうのがHIP HOPの力なんじゃないかな、って。他にそういう音楽ってないと思うんですよね、正直」

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 MONJU/DOWN NORTH CAMPの一員として知られ、ソロMCとしても精力的に活動してきた仙人掌は、2000年代中盤以降の東京アンダーグラウンド・ラップを語る上で、決して外すことの出来ない存在だ。自身の目線を上にも下にも逸らすことなく、定位置から鋭い切れ味の言葉を放つ彼のラップは、自身名義の作品だけでなく、客演というヴァース単位での露出でもその真価が発揮されてきたし、それ故に根強いファン層が存在するMCだ。

 意外にも初のオフィシャル・アルバムとなる今作「VOICE」は、DOGEAR RECORDSとWDsoundsという、彼にとって縁深い重要レーベルがバックアップ。それによって、豪華/多彩でありながら、他のアーティストのアルバムではなかなか見ることが出来ないラインナップの客演/プロデューサー・リストが実現している。

 万全なサポーティング・キャストを得た上で制作された「VOICE」で聴ける仙人掌の“声”。それらには、彼も曲中で訴える「HIP HOPが全てを肯定に変える」というフレーズが象徴する力強さがある。彼は多くを語らないが(とは言え、その一部の顛末は今作中でも語られている)、この力強さは、自分に降り掛かった“苦境”を、自らのスキルとメンタルで克服せんとする仙人掌のアティテュードそのものであり、だからこそ強い説得力があり、響く。
 
 
■今更という感じではあるかもしれないけど、Amebreakでは初のソロ・インタビューとなるので、改めて、どのようにラップ・ゲームに入っていったか教えてもらいたく。
「YAHIKO(HAKUCHUMU/DOWN NORTH CAMP)が高校の同級生だったんですけど、周りで高校生イヴェントみたいのをよくやっていて。最初は、手伝いとして俺は会場のモギリをしたりしてたんですよね」

■最初は演者側ではなかった、と。
「そうですね。でも、なんとなく『コレ、俺がやった方がヤベェんじゃねぇか?』みたいに思って(笑)。その前、中学生ぐらいの頃から遊びでリリックは書いたりしてたんですけど、人前で披露したことはなくて。で、『俺もやってみたいな』って感じになって、周りも『やりなよ』って感じだったんで、そこからですね。高校2年生ぐらいのときです」

■その当時は90年代後半だと思うけど、そのときの仙人掌君が見てた東京HIP HOPシーンの景色はどんな感じだった?
「どうだったかな……ただただ、“憧れ”というか、そういう景色だった。自分は江戸川区の方が地元なので、最初は千葉のクラブとかに行ってたんですね。で、その内渋谷/恵比寿/池袋とかに出るようになるんですけど」

■じゃあ、渋谷・宇田川町エリアによく行っていたというタイプではなかった?
「その当時は。でも、SAVAGEには超行ってましたね。『SAVAGEっ子』だったっすね。KING OF DIGGIN’に入りたかったぐらい」

■以前、CPFのインタビューではMICROPHONE PAGERの名前が挙がってたけど、MUROさんだったりペイジャーの存在というのは大きい?
「デカいっすね。ファッション雑誌とかでMUROさんを見て、『とにかくオシャレだな。この人超カッコ良いな』って思ったし。あと、例えば雑誌で『ストリートの重要人物』的な感じで何人か写ってる中に、松葉杖ついてるSHINNOSK8が載ってたんですけど、コメントが全部ケツで韻を踏んでて。当時の俺の中では、B・ボーイって『思慮深い』存在だったんです。格好はダボダボでストリートな感じでも、すごくモノを考えてるし、いろいろなことを知ってる。そういう、『カッコ良いお兄さん』って感じだったんですよね」

■当時、仙人掌君が書いていたラップのスタイルは、今と地続きだったりする?
「結構、あの頃から続いてると思いますね。初めて人前でやってみようとして書いたリリックとか、『コレは全部、俺らの周りのことを歌ってるよね』みたいな感じだったし、そういう部分はあまり変わってないのかな、って」

■HIP HOPは、洋楽から聴き始めた?
「そうですね。ちょうどWU-TANG CLANの2ndアルバム『FOREVER』とかが出て、あとRAKIMがソロ・アルバムでカムバックした頃でした。その辺りでガツンとハマって、そこから日本のHIP HOPをどんどん知っていきました」

■1996年頃、NASが2ndアルバムで大ブレイクしたり、JAY-Zが「REASONABLE DOUBT」を出したりしてた時期だね。何でこの質問をしたかと言うと、“STATE OF MIND”のヴァースの入り……これ、LOST BOYZ“JEEPS, LEX COUPS, BIMAZ & BENZ”のオマージュだよね?面白いところから取ってくるな、と思った一方、この曲もこの時期リリースの曲だから、今納得したんだけど。
「俺、Mr. CHEEKS(LOST BOYZのリーダー)が超好きなんですよ。アレがフッドにずっと居続ける、カッケェ兄貴みたいに俺は感じてて。声もカッコ良いし、周りのホーミーたちを上げたり、(亡くなったメンバーの)FREEKY TAHの追悼イヴェントを毎年やってたり。俺の中では、『地元の超カッケェ人』みたいな目線なんです(笑)」

■やっぱり、当時の東海岸HIP HOPからの影響が一番大きかったりする?
「でも、最初は2PACとかが好きだったんで、NAS『ILLMATIC』とかビギーとかを知ったのはすごい後です。それこそISSUGIとかと知り合ってから『お前、ビギーとかMOBB DEEPとか聴いたことないんだ!?』みたいに教えてもらったんです。元々、仙人掌って俺とライヴDJのユニットとしてやってたんですけど、そのDJのヤツが西海岸のHIP HOPをすごい好きで、彼とよく一緒に聴いていたんですよね」

■仙人掌は、最初はグループ名だったんだね。
「1MC+1DJって感じで」

■最初はグループ名だったのがMC名として受け継いだという意味では、般若君と同じだね(笑)。
「ああ、そうですね(笑)。一緒にやってたDJがだんだん活動できなくなっちゃったんですけど、『俺がレップしないとな』って感じで名前を使い続けてたら、それが定着しちゃって。“仙人掌”って名前は、そのDJが卒業文集みたいなので『俺は仙人掌になりたい』って書いてて。ちょっと変わったヤツだったんですよね。で、20歳ぐらいになって『……ていうか、“センニンショウ”じゃなくて“サボテン”じゃね?』って、読み方すら知らなかったっていう(笑)」

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