INTERVIEW:

CHICO CARLITO

■“47”は、CHICO君の“おばあ”のライフ・ストーリーが歌われていて、それを聴くと波乱万丈な人生だったと窺えるし、他の曲でもお祖母さんが出て来ることを考えると、CHICO君にとって大きな存在だということが分かるね。
「沖縄の俺らの世代とか、お祖母ちゃんの存在はデカイと思いますね。俺は両親が共働きだったということもあって、ずっと俺の面倒を見てくれてたし。おばあからはずっと『自分たちのときは出来なかったから、あんたはやりたいようにやりなさい。でも、勉強はしっかりしなさい』って、本当に“47”でラップしてるようなことを言われて育ちました」

■お祖母さんは若い頃から貧しくて苦労してきたことは曲からも分かるけど、CHICO君はバックグラウンド的にはタフな環境で育った?
「この曲で勘違いされちゃうと困るんですけど、俺は全然、普通です。おばぁが一生懸命働いてゲットーから抜け出してくれたから。なんで、一切ゲットーな環境とは関わってこなかったから、そういうストリート・ライフ的なことは歌えない。そういう意味では、ラッパーとしては“武器”が少ないのかもしれないですね」

■そのお祖母さんと、アメリカの軍人として沖縄に来ていて、後にお祖母さんを残して故郷に帰ってしまうプエルトリコ系のお祖父さんの間に生まれた子供が、CHICO君のお母さんだよね。だから、CHICO君はクオーターということになるけど、そのバックグラウンド/アイデンティティは自分に影響を与えてきた?
「俺は、クオーターだけどハーフ顔でもないし、“沖縄顔”だから、そこに関するコンプレックスとかはなくて。自分のおじいがプエルトリコ人だと知ったのも、20歳の頃なんです。そのときに、おじいのあだ名が“チコ”だったことを知って。自分のMCネームをもうちょっと意味のある名前にしたいと思ったんで、そのおじいのあだ名から“CHICO”を取って。“CARLITO”は、ちょうど名前を変えようとしてた時期に観てた映画が『カリートの道』だったんです。あの映画も、アル・パチーノがプエルトリコ系のマフィアを演じてて、映画が作られた年も俺が生まれた93年だったから、『CHICO CARLITOにしよう』と」

■こっちに出て来てからもMCバトルには出まくっていたわけだけど、バトルに出る目的はあった?
「ライヴと音源ですよ。バトルに出ることによってライヴのオファーをもらえたり、その後の音源制作に繋がったり。それ以外ないですよ。まあ、一回はデカイ大会で優勝したいというのはありましたけどね。去年、UMBで優勝したから、『バトルはもういいかなー』とか思ったりはしてますね。しばらくバトルに出ないで何年後かにポンッと出てみるもいいかな、とか思ったり」

■じゃあ、MCバトルに出るということは、自分の活動においてメジャーな部分ではない、と。
「そうですね。でも、バトルがなかったら俺のことを知らなかった人がたくさんいるから、俺は『手段のひとつ』としてバトルを使った、上手い成功例なんだと思います。優勝して、賞金使ってアルバムも作って全国流通までこぎ着けたというのは。一番手っ取り早く名前も売れたし、アルバムも出してなくて誰の後輩でもないヤツが大きなステージに立てるなんて、バトル以外ないじゃないですか。CDもリリースしてないのに『SUMMER BOMB』に呼ばれたのとかも、『名前、売ったんだな』と感じましたね。でも、『このバトルをキッカケにラップが上手くなったなー』みたいに感じたことはないんですよね」

■アルバム中のスキットでは、いろんな人との電話の会話を通して、時系列でここまでの展開を表現しているけど、この2〜3年で本当に目まぐるしく状況が変わっていったことが分かるね。
「『ラッパーとして駒を進めたな』って感じはしますけど、人間としては可能性を削ったな、とも思います。普通に大学行って就職したら何にでもなれるけど、その可能性を全て削ぎ落としてラッパーの道を進むんだな、と思ったすね。この一年で一番人生が変わったのは俺だと思いますね。『フリースタイルダンジョン』に出て、UMBで優勝して、その3ヶ月後に『ダンジョン』のレギュラーが決まって、客演でもKEN THE 390さんの“真っ向勝負”とか『ダンジョン』のコンピ — 俺の曲なんて“C.H.I.C.O.”ぐらいしか出てなかったのに、バンバン呼んでくれたみんなもスゲェと思うし — 『SUMMER BOMB』とか、デカイ現場でもやらせてもらって、1stアルバムも出る。だから、俺が誰よりも(自分の流れを)変えたって思います」

To Page topTo Page top