INTERVIEW:

YOUNG JUJU (KANDYTOWN/BCDMG)

「HIP HOPって“インパクト”じゃないですか。『うわっ、ヤベェ!コイツらカッケェ!』って思わせてくれるモノが足りないと思うんです。バンっと出て来てカッコ良いモノがもっとあった方がいいと思うし、そうなるともっと楽しくなると思う。そして、HIP HOPの文化を知ることって、楽しいことだと思うんです。それは、声のかけ方、ナンパの仕方とか歩き方とか、仲間のあり方とかも含め。そういうことがもっと浸透すれば、シーンに限らず日本中で悲しい事件とかも起こらなくなるんじゃないかな、って」

youngjuju_main
 KANDYTOWNのメジャー・デビュー作もリリースされ、各メンバーの個性が徐々に認知されてきている中、KANDYTOWNのアルバムが出てから初めてリリースされるメンバーのソロ作が、YOUNG JUJU「juzzy 92’」だ。KANDYTOWNのヒット・チューン“GET LIGHT”でも強いインパクトを残し、IO/DONY JOINTと共にBCDMGにも所属していることから、彼の動きに早くから注目していたヘッズは多いことだろう。

 「juzzy 92’」は、KANDYTOWNのシグネチャー・スタイルと言える、サンプリング主体のメロウ且つソウルフルなアプローチを軸に、先行シングル“The Way”のような“黒い”サウンドや現行USラップに通じるBPM帯のトラックなど、これまでのKANDYTOWN諸作と比較するとヴァラエティに富んでいる。また、YOUNG JUJUはKANDYTOWN内では年齢的に歳下だからか、クルー内でも特に勢いを感じさせるラップ・スタイルが特徴的だ。また、華のあるルックス/声に恵まれたラッパーだが、そういった“外見”に甘えることなく、ストレート且つポジティヴに吐き出されたリリックが多いのも本作の特徴だ。

 そんなYOUNG JUJUのAmebreak初取材。彼のクルー愛やシーンに対するコンシャスな姿勢などが現われた発言の数々からは、筆者の当初の予想以上に使命感や謙虚さが感じられるものだった。
 
 
■KANDYTOWNというクルー名の語源にはK-TOWN=(世田谷区)喜多見というスラングがあるようだけど、JUJU君も喜多見が地元?
「俺は喜多見じゃなくて、喜多見から車で15分ぐらいの経堂です。だけど、YUSHIん家にしょっちゅう行ってたから、喜多見にはよくいました。幼稚園がKIKUMARU/YUSHIと一緒で、小学校からはそのふたりとIO/MASATOが先輩でいました。地元から少し離れた小さな私立校だったんで、地元に帰ってくるとYaBastaのMIKI/DIAN/GOTTZとかと公園で遊んでました」

■だから、KANDYTOWNメンバーは喜多見が地元の人と経堂が地元の人で分かれてるんだね。
「大体、そのどっちかが地元ですね。でも、みんなYUSHIの家にいたし、彼と喜多見で遊ぶことが多かったから、みんな喜多見にはしょっちゅういました」

■YUSHI君がKANDYTOWNにおいて相当デカい存在だというのは、これまでのメンバーたちの発言からも明らかだね。
「一番ヤンチャで目に付く人というか。YUSHIが何かやったら何かが始まる、みたいに先頭切って行くような人で。でも、リーダーという感じではなかったんですよね。人から注意されることもあったし、『何やってるんだよ』って思われることもしてたから。ただ、何も恐れてなかったというか、自分を持ってた人でしたね。ラップも、彼から無理やり強要されたりとかはなかったです。とにかくビートがかかってて、彼から『フリースタイルやろうよ』みたいな軽いノリで巻き込まれていったというか(笑)。どっちかというと、引き出してくれるような人でした。家や車で聞いてる曲がカッコ良くて、会うと大体『この曲は何!?この人は誰!?』って訊いて教えてもらってました。幼稚園からの付き合いだったから、俺にとってはホントお兄ちゃん、と思ってます」

■そうやって子供の頃に彼から教わったことは、今の活動に活きていると思う?
「活きてますね。当時言われたことは忘れてないし、あの頃一緒に聴いてた曲とかが、今のベースになってると思います」

■HIP HOP/ストリート・カルチャーに惹かれていったのは、やっぱりYUSHI君の影響が大きい?
「周りにそういう人が、とにかく多かったですね。どこに行ってもスケートやってたり、HIP HOP聴いてたりラップやってるような人がいて。小4〜5ぐらいのときには、EMINEMぐらいは聴き出してました」

■そうすると14〜5年前か……その頃の東京の小学生って、みんなそんなにマセてたの(笑)?
「いやぁ、俺らは特に変わってたと思いますよ。YUSHIはランドセルの裏にNASのポスター貼ってたらしいし、中学生でラジカセ担いでるヤツとかいなかったですもんね(笑)。『学校の問題児』ってなると、名前が挙がるのはYUSHIの集団だったし。俺も彼らにかわいがられていただけに、当時の学校の先生とかには『YUSHIの真似したりしちゃダメだ』ってリアルに言われてましたよ(笑)。だけど、見事にそういうのに影響されて、音楽で勢い付いたりとかしていって、だんだん染められていって、気付いたら遊んでる仲間がそういうヤツらしかいなくなってた。みんなラップをやってたから、俺もやらなきゃいけなくなった感じでラップは始めていったっすね。それが高2ぐらいのときです」

■当時のJUJU君にとってアイドルだったラッパーは?
「後追いでしたけどJUELZ SANTANAとか。DIPSETは当時一番聴いていたと思いますね。俺は、HIPHOP聴き始めの時期がすごい反抗期だったんですよね。パーティ・シットではなく、ビートがイケイケで、ケンカしに行くようなテンションになれるラップが好きでしたね」

■以前、IO君にインタビューした際、彼は学生の頃から渋谷・宇田川町にあったHIDE OUTやBOOT
STREETの辺りによく遊びに行っていたと話していたんだけど、“Live Now”でB.D.が参加しているというのは、彼が宇田川町にあるGROW AROUNDのスタッフで、昔から繋がっていた縁ということ?

「19〜20歳ぐらいのときに、GROW AROUNDで半年ぐらい働かせてもらってたことがあるんです。社会のことが全然分かってない状態で。それは今もなんですけど。もちろん続けられなくて、迷惑かけて辞めることになり、他で仕事を始めてやってたら、GROW AROUNDで働いていた頃にB.D.さんや他のスタッフさんが言ってくれた言葉が自分の中で活きてて、改めてB.D.さんのことがカッコ良いな、って。B.D.さんは、音楽はもちろんのこと、男として本当にカッコ良いと思ってます。俺にとっては『こうなりてぇ』って思わせてくれるロール・モデルです。一緒にスタジオに入ったときはスゲェ嬉しかったですね」
 
 

To Page topTo Page top