INTERVIEW:

KANDYTOWN

「HIP HOPに限らずかもしれないけど、音楽があって、ファッションがあって、仲間がいて、地元があって……それって“ライフ”じゃないですか。だから、それが自然とテーマになるのかな」 -- Ryohu

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 Amebreakに目を通して頂いているようなリスナーには周知の事実だろうが、16人組のHIP HOPクルー:KANDYTOWNの快進撃が止まらない。グループ名義でリリースされた「Kruise’」や「BLAKK MOTEL」は、限定生産数ということもあってプレミア化。ソロとしての大きな形のリリースだけでも、BCDMGとディールを結んだIOが「SOUL LONG」、YOUNG JUJUがシングル“The Way”をリリースし、11月23日にはアルバム「JUZZY 92’」を発売。その他にも会場リリースやフリー・ダウンロード、配信リリースを含めれば、ほとんどのメンバーがソロ作をリリースしている(その詳細はKANDYTOWNのWikipediaをお目通し願いたいが、その長さたるや!)。

 そういった活動のひとつの決着点としてリリースされるメジャー・デビュー・アルバム「KANDYTOWN」。とにかくエネルギーとフレッシュさの詰まった、お祭り騒ぎのような熱量と、世田谷を中心とする東京の西側のハイブロウ/サブカルチャーを引き継いだことによるであろう品の良さを、作品に湛えた充実の作品だ。サンプリング・センスの高さや全体に漂うメロウネスなどは、そういった“文化資本”の賜物である部分もあるだろうし、ワチャワチャとした熱量を持ちながらも、その基礎部分が決して闇雲な熱さや上昇志向ではなく、もっと「シンプルな楽しみ方」を感じさせるのも、彼らの育ちや幼馴染という部分から生まれるものだろう。

 ある意味では、渋谷から西側の文化資本が生み出したひとつの到達点であり、東京の日本語ラップのひとつの決着点であろうKANDYTOWN。東京の音楽シーン/文化が何を生み出したか?という存在性さえも感じる彼らは、どこまで届くのだろうか。期待して止まない。
(本取材にはRyohu/GOTTZ/MUD/YOUNG JUJU/Neetzが参加)
 
 

■手売りを中心にしたリリースを展開していたKANDYTOWNが、メジャーと契約したキッカケは?
Ryohu「オカモトレイジ(OKAMOTO’S)を通じて、ワーナーの方から話を頂いたのがキッカケですね」

■OKAMOTO’Sのメンバーも在籍していたズットズレテルズに、YUSHI君とRyohu君が参加してたという経緯があっての流れだね。今作のディレクターとしても、レイジ君が名前を連ねていて。
GOTTZ「その話があったのが去年の11月ぐらい?」
Ryohu「メジャーで出さない理由はなかったんですけど、同時にメジャーで出す理由も実はなくて。ただ、ワーナーの考え方と、俺らのやりたいことが近かったんで、メジャーでやるのもアリかなって」
YOUNG JUJU「あと、『ワーナーって誰がアーティストにいるの?』って話になったときに、レイジ君から『山下達郎がいるよ』って言われて、『じゃあそこで!』みたいな(笑)」

■以前、NeoL誌でインタビューしたとき、みんなで“蒼氓”を“合唱”してたもんね。ただ、メジャー欲は強くはなかったんだ。
MUD「そうですね。だけど、メジャーに行くことでこうやってインタビューとかも増えたし、今までは自分たち発信ばっかりだったけど、今は自分たちの言葉を受け取ってくれたり、自分たちの発信を増幅してくれる人が目の前に現われるようになったことで、いろんな光景を見るようになりましたね」

■なるほど。では、他のインタビューでも必ず聞かれることだと思うけど、KANDYTOWNの成り立ちについて軽く教えてくれる?
GOTTZ「そもそもは、YUSHI君やRyohu君、IO君、BSC君たちがBANKROLLってクループをやってて。そのグループは基本的に和光学園に通ってた90年生まれ組、喜多見の出身者がメインで構成されてて。レイジ君も和光の90年組。JUJUは経堂の出身で92年生まれなんだけど、和光に幼稚園から通ってて、そこでYUSHI君たちと繋がって。それで、JUJUや俺やDIANっていう、経堂出身の92年組がメインになって作ったのがYABASTA。で、JUJUを媒介にBANKROLLとYABASTAが繋がっていって」
MUD「BANKROLLとYABASTAの間に、91年生まれのNeetzとか俺みたいな和光組がいて。和光は私服通学なんで、B・ボーイは見た目で分かるんですよ。俺は全身ROCA WEARにティンバーのブーツみたいな格好で」
YOUNG JUJU「YUSHIは『何人分の席取るんだよ』ってぐらいダボダボのNORTH FACEとか着てた。だから、自然にB・ボーイ同士が繋がっていって」
MUD「学校で毎日サイファーしてたし」
Ryohu「で、NeetzやJUJUがBANKROLLと一緒にライヴすることが多くなっていって」
GOTTZ「イヴェント『SIMI CITY』(SIMI LAB主催イヴェント)とか。そこにYABASTAも参加……というか、BANKROLLのライヴを観に行ったら、『今日演る曲がないから、代わりに出てよ』みたいなマジで無茶振りされたり(笑)。その集団を“K-TOWN”って誰かが言いだしたんじゃないかな」
Ryohu「喜多見のことを“K-TOWN”って言ってたんですよね。喜多見組で」

■最初は喜多見だけだったんだ。
Ryohu「経堂なんて知らねえよ、みたいな(笑)」
GOTTZ「喜多見は急行停まらないんですけどね。経堂は止まるけど(笑)」
YOUNG JUJU「確かレイジ君が、練マザファッカーが練馬を“N-TOWN”って言ってるのを真似して、“K-TOWN”って言ってたんじゃないかな」
Ryohu「あと、山下達郎に“CANDY”って曲があって、それが俺らの中でヒットしたんですよね。それで、CをKに変えてって話もあったと思う。ただ、KANDYTOWNっていうクルー名が付く前から、みんなで集まって曲を作ってっていうのが、俺らの遊びのひとつだったんですよね。その流れで『BLAKK MOTEL』とか『KOLD TAPE』を作って、リリースする上で便宜上付けた名前がKANDYTOWNだったと思う」
 
 

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