INTERVIEW:

underslowjams

「俺らが普段聴いてたり、影響を受けたのはそういう感じはないんで、逆にその(アーバン・ソウル/メロウなサウンドの)シーンを知らないんですよ。だから、インタビューとかでそういう風に言われて、『そうなんだ、なるほど』って感じなんですよね。あまり意識もしてなければ、実は単純に情報として知らないので、これからそういったシーンも知っていけたり、近いんだったら、例えば対バンとかも出来ればなって」 -- rag

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 アーバン・ソウル/ファンクやR&B、もしくはアシッド・ジャズなど、非常にザックリとした捉え方をすれば“メロウ”な彩りを持ったサウンドが、ポップスの中でもひとつの潮流として音楽シーンの中で再評価され、多くな注目を集めている昨今。今回登場するunderslowjams(以下usj)のリリースする「PHONETIC CODE」も、そういった流れの中で捉えられるかもしれない。
 
 ヴォーカルのyoshiro、MCのrag、トラック/ドラムのtake-c、そしてプロデューサーのSUIで構成されるusj。2000年代中盤から活動を始め、06年に「HOT JAMS」、07年に「UNDERSLOWJAMS」をリリースしたが、その後活動を休止。2010年に現在のメンバーで活動を再開し、そこから6年を経て、新作をリリースするに至ったこのグループ。
 
 前述の通り、アーバン・ソウル的な質感のあるトラックに、粘りつくようなyoshiroのヴォーカル、ragの抽象性の高いリリックとラップが噛み合い、構成としては非常に「今っぽい」サウンドであり、そして、そういったジャンルの中でも、かなりクオリティの高いアルバムとなっている。その意味では、そういった潮流を意識したり、そういった流れと同じような影響下にあるのかと思いきや、インタビューでも語られる通り、実はそういったモノとは離れた音楽史の上に、彼らは成り立っていた。その意味では、今回のアルバムに流れるサウンドや空気感は、単純に彼らのオリジナリティの発露であると同時に、無意識に嗅ぎとった“同時代性”という部分でもあるのだろう。非常に興味深い作品だ。
 
 
■まず、3人の音楽的な経歴から伺えればと思うんですが。
take-c「僕は中学生のときにバンドを始めて。パートはドラムでしたね。最初はLUNA SEAのコピーとかをやってて、そこからハードコアとか、女の子ヴォーカルのバンドだったり、色々やってましたね。それで、17歳ぐらいのときに付き合ってた彼女が音楽に詳しくて、その子からBUDDHA BRANDの“人間発電所”を教わったり、LIMP BIZKITとかKORNみたいなミクスチャーの流れから、HIP HOPやラップも聴くようになったり」
yoshiro「ウチは母親が音楽好きで、J-POP、歌謡曲がよく流れてる家でしたね。それで、サザン・オールスターズとか柳ジョージをよく聴いてました。洋楽だとBOB MARLEYとか。で、中学生のときに、グラミー賞をTVで見て、そこに出てたGREEN DAY、SHERYL CROW、PRINCEとかを見て、自分もバンドをやりたいと思って始めたんですよね。それで高校のときはtake-cと一緒にバンドを組んでたり。ただ、HIP HOPはあまり当時は聴いてなかったですね。僕とtake-cは地元が鳥取なんですけど、鳥取にラッパーはいなかったんで」
 
■絶対いたでしょ(笑)。
take-c「リスナーはいたけど、ラッパーは出会ってないね」
yoshiro「俺たちが上京する99年まではラッパーはいなかったと思いますね(笑)。でも、『さんピンCAMP』は鳥取にまで轟いてましたね。『さんピンCAMP』のビデオが伝わった瞬間、ロックっぽい格好してたのに、キャップ被って、ダボダボの服着てって奴が増えたり」
 
■では、ラッパーのragさんはいかがでしょう。
rag「僕は日野市の豊田の出身で。中学のときにスケボーを始めて、スケボーのヴィデオで流れてたBEASTIE BOYSとかから入って、ミドル・スクールやNAS、A TRIBE CALLD QUESTみたいな90’sとかを聴いてました。日本語ラップも『さんピンCAMP』の時代から好きでしたね。だから、ラップはリスナーだった流れで自然と始めた感じです。高校のときは文化祭でライヴしたり、街中でサイファーの走りみたいなこともやってて」
yoshiro「だから、usjはHIP HOPに関してはragの影響が大きいですね。彼の影響で、HIP HOPからドラムンベース、ダブ・ステップとかも聴くようになって」
 
■では、このメンバーが出会ったのは?
rag「全員が揃ったのは12年ぐらい前ですね。僕は一時、ゴア/サイケデリック・トランスにハマっちゃって、それでHIP HOPからは離れた時期があったんですよ。パンタロン履いてヒッピーな格好して、インドでイスラエル人とかがやってるサイケデリックのパーティに行ったり。でも、それを2〜3年やってたら飽きちゃって。自由が行き過ぎて、すごく自己中心的なエグい世界だったりもしたし、インドの田舎で金のある外国人がパーティを開くっていうのも、ちょっと違うなって思ったりもして。それで、俺は地元の先輩に怒られたり、ハミ出したら注意されるような世界の方が自分には合ってるなと思ったし、やっぱりHIP HOPがやりたいって思ったんですよね。そのときに、トランスにヤラれちゃった自分、B・ボーイから離れた自分を受け入れてくれたのが、僕の中学のときの先輩で、現在、渋谷の百軒店でGood Wood Terraceを営んでいるKENTAが所属してた「風の人」クルーだったんです。それと並行して、take-cたちと出会ってバンドを始めて、バンドとしても風の人のイヴェントに出させてもらったり。それでusjも広まって行ったんですよね」
 
 

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