INTERVIEW:

IO (KANDYTOWN)

「ソウルとかを聴いてると、街の見え方が変わってくるじゃないですか。雨でもロマンティックに感じれたりとか。そういう、音楽によって風景や歩き方が変わる感じは、音楽をやってて好きな部分なんですよ。曲を映画のように見せられたらいい、というか理想かもしれないです」

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 2014年末、BCDMGがそれまでのプロデューサー・チーム的体制から、ラッパーや様々な意味でのクリエイターを抱える大所帯のチームとしてリニューアルしたタイミングに、Amebreakで彼らのドキュメンタリー的な動画を制作したことがある。彼らのインタビュー映像を軸に、同時期に公開されていたJASHWONのフリーEP「6」収録曲のショートMVを挿入していくという構成のものだったのだが、その動画で撮影されたMVのひとつがIO“Mr. City Lights feat. Dony Joint”だった(手前味噌だが、かなり良い仕上がりのMVだと思うので、未見の方はこの機会に是非!)。以降、IOの所属するKANDYTOWNは活動を活発化させ、昨年のシーンを代表するラップ・クルーと言える程の認知/人気を獲得してきた。
 
 この一年で多数発表された、メンバーやクルー名義のストリート流通作品/ストリーミング楽曲を何曲か聴いたリスナーには、ある程度KANDYTOWNの音楽性やアイデンティティが伝わっている頃だろう。そんなタイミングにドロップされたのが、IOの1stソロ・アルバム「Soul Long」だ。
 
 今作を聴いて感銘を受けたのは、ラップのスキルやトラックのクオリティの高さといった要素ではなく(もちろん、そのどちらとも高水準な作品だ)、それらの要素を“クール”なものに昇華させるIOのムード作りの巧みさだ。メロウなサウンドはウェットな感触だが、ラップで描く情景は都会的でドライ。頭では分かっていても表現するのは難しい、そんな塩梅をIOは25歳にして見事に具現化させている。これまでの日本語ラップ・アルバムでは、ありそうでなかったバランスの作品だ。
 
 「Soul Long」のアルバム・インフォには「日本語ラップ版“ILLMATIC”」というキャッチ・フレーズが載っている。正直、そんなレコード会社のクリシェ的な宣伝文句に煽らされるほど筆者は若くないのだが(フォローするわけではないが、上記の表現は主にプロデューサー布陣の豪華さという共通点からそう喩えたのだろう)、このアルバムが日本語ラップにおける“クールネス”の定義を更新する可能性があるという意味で、“名作”のムードを纏っているのは確かだし、重要な一枚となる可能性が高いと思う。
 
 
■東京・世田谷で育ったとのことだけど、子供の頃はどんな環境で育った?
「割と普通だったと思います。ひとりっ子の鍵っ子だったんで、ずっとひとりで遊んでましたね。小学校の頃、棒を倒して、倒れた方向に進んで行くっていう遊びをしてたら、たまたま菊丸(KANDYTOWN)が通りかかって『何してるの?』みたいな(笑)。彼とは小学校が一緒だったんです」
 
■他のKANDYTOWNの面々とも、小学校の頃からの付き合い?
「色々いるんですけど、YOUNG JUJUとか菊丸、DJのMASATO、YUSHIとかは小学校からです。中学〜高校の頃に繋がったヤツもいるけど、大体はどこかで学校や遊ぶ公園や駄菓子屋が一緒だったりっていう繋がりがありますね」
 
■世田谷区は大きい区だから、ひと口に「世田谷区出身」と言ってもエリアによって印象がだいぶ異なるよね。IO君が育った喜多見周辺は、成城と二子玉川の間ぐらいの場所だね。
「世田谷にもいろいろあって、都会っぽいところもあれば静かなところもあって、喜多見は静かな方に入るのかな、って。ちょっと行けば川があって、越えたら川崎です。ただ、街には出やすい場所ですね」
 
■確かに渋谷には出やすいし、246も通ってるよね。多感な時期に入ると、やはり遊びに行く場所は渋谷が中心だった?
「そうですね。俺たちが15〜6歳のときは、渋谷に行って宇田川町のBOOT STREET(CDショップ)とかHIDE OUT(服屋)があるエリアで遊んだりしてました。それが10年前ぐらいです。YUSHIとかはあまり学校にも行ってなかったから、昼間からあの辺りにいましたね。俺はあまり出るタイプじゃなかったから、割とフッドの方にいたんですけど」
 
■だから、IO君は渋谷・宇田川がかつてのように東京HIP HOPの中心として機能していた時期を知る、最後の世代だよね。
「やっぱり、あの頃あそこにいた人たちと出会えたことは、自分にとって大きなことだと思いますね。俺の場合は特にHIDE OUTをやってたGOKさん(BCDMG)がよくしてくれたし、すごくカッコ良かった、そういう人たちのスタイルに憧れもありました」
 
■IO君やKANDYTOWNから感じられる、一種のオーセンティックさは、そういうルーツに理由があるとは前から感じていたことで。15歳頃から宇田川町に出入りしていたということは、その頃には既にHIP HOPヘッズだったということだよね?
「小学校の頃、まずYUSHIが『8 MILE』を見て、それに影響を受けた彼はランドセルにNASのステッカー貼ってたりしてて。そういうヤツだったから、彼から受けた影響が大きいですね。ラップを始めたのも彼の影響です。中学生の頃、外で缶蹴りとかしてたのに、HIP HOPに出会ったことによって『遊び=ラップ』になったんです。それがラッパーとしての始まりでしたね」
 
■その頃はどんなラップが好きだった?
「自分は、FABOLOUSとかJA RULE、LL COOL J、FAT JOEとか、2000年代前半に流行ってた、ストリートなんだけどフックにはシンガーが入ってくるようなメロウなヤツが好きでしたね」
 
■今のメロウなスタイルは、そういうところにルーツがあると思う?
「そうですね、それも大きいと思います。あと、ソウルとかを親父がずっと聴いてたんですよね。車でどこかに出かけるってなると、車内ではMINNIE RIPERTONとかが流れてた。そういう環境だったんで、『この曲好きだな』って思うのは大体メロウな曲でした」
 
■KANDYTOWNは、頻繁にストリート流通の作品や音源をSoundcloudなどにアップしてるけど、それはさっき話していたような、中学生の頃の「遊び=ラップ」の延長線上という意識?
「間違いなく延長線で、集まったときに『今日、作ろうか?』みたいな流れでやる作り方とか、ずっと変わらないですね。今でもみんなでラップを続けられてるっていうのは、やっぱり恵まれてるな、って思います」
 
■KANDYTOWNをHIP HOPクルーとして見ている人は多いと思うけど、それぐらいみんなの付き合いが長いと、ビジネス的側面よりまず友人関係ありき、という感じがするね。
「そうですね。ラップを始める前に友達になってるので。ラッパーとしての付き合いより友達としての付き合いの方が先に来てますね」
 
 

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