COLUMN:

対談:DABO & MACKA-CHIN

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■おふたりの作品を振り返ると、特に00年代のDABOさんはトレンドや先端、シーンを意識した王道、MACKA-CHINさんはHIP HOPを根底には置きながらも、より他ジャンルやアートフォームと交雑した異端を進んだという印象があります。ただ、それがMABO「デラコスタ」(05年)で交差して、それぞれの道を進み、また東京弐拾伍時で交差して、またそれぞれの、という風に、キャリアの中で“交差点”があるのが非常に興味深いですね。
MACKA-CHIN「俺とDABOは、考えてることは真逆だけど、陰陽であり、ぴったりハマる凹凸なんだよね。だからこそMABOで声を掛けてくれたと思うし、俺もDABOのスキルには絶対的な信頼を置いてるから」
 
DABO「ずっと常に音楽活動をしてるのが、ニトロではこのふたりだし、俺もMACKA-CHINのクリエイションや方向性に対する信頼感がとにかく高いから、そういう交差点が生まれるのかもね。MABOは俺が主宰してたレーベル:Baby Mario Productionからのリリースだったけど、とにかく制作は楽しかったもんね」
 
MACKA-CHIN「スゲェ楽しかった」
 
DABO「めちゃくちゃお金使ったけど」
 
MACKA-CHIN「それを回収したいね」
 
 
■今ですか(笑)。
MACKA-CHIN「やっぱり刺激される存在なんだよね。DABOは今、生バンドと一緒にやる現場も増えてるじゃない」
 
DABO「結構多いね」
 
MACKA-CHIN「それには俺も焦ってますよ。どんどん先に行っちゃうと思うし、じゃあ俺は生音じゃなくて打ち込みかなって考えたり。そういう風にニトロはジェラシーで成長する部分があるから」
 
 
■メンバーにジェラシーを持ってると明言できるのは、すごく健康的ですね。
MACKA-CHIN「言えちゃうぐらいリスペクトがあるから。それに、全てのことに対して小馬鹿にしてたりナメてたら、何も生み出さないからね。それを35歳ぐらいから本当に気付き始めた。ちゃんと心を開かないとな、って」
 
DABO「そういうMACKA-CHINが一番心を開かない人だったじゃん(笑)」
 
MACKA-CHIN「全然開かなかった(笑)」
 
DABO「だから、今の話を聞いて『大人になったな……』って(笑)」
 
MACKA-CHIN「やっぱり自分の手詰まり感に気づいたときだよね、そう思えたのは。トラック・メイクやラップに手詰まりを感じたときに『ここからどうするか』ってことはやっぱり考えたんだ。そのときに『俺にはキャリアもあるし』って威張ってたら、若者やいろんな人とはリンクできないし、リンクするためにもこっちから心を開かないとな、って。そこで幅が広がったし、自分自身、手詰まりを解消するキッカケにもなった。DABOはもともといろんなアーティストと仲が良かったから、心はオープンなタイプだと思うんだけど」
 
DABO「社交好きだしね」
 
MACKA-CHIN「若いときに酒飲んでたの、DABOぐらいだったから」
 
DABO「30過ぎて飲み始めた方が多いよね、ニトロは(笑)。逆に、今はそんなにクラブにも行かないし、社交的ではなくなってしまったけど、俺は若いときからどの“村”とも繋がれるようにしてたしね。それに、ニトロのデビュー前、金のない、所持金5円とかでHARLEMに行って、中二階に行ってひたすら先輩に奢ってもらってた。『DJ TAIKI君にはさっき奢ってもらったからまた声かけるのは気まずいな……お、ジブさんいた!』みたいな(笑)。そういう夜遊びの先輩たちの姿はカッコ良かったし、俺も金をゲットしたら、後輩にそうしたしね」
 
MACKA-CHIN「それが仕事にも繋がるし」
 
DABO「あと、繋がることで、俺自身だったり、ニトロの誤解を解く作業をしたかったのもあるね。『俺/俺たちに触るな、ケガするぜ』っていう表現を真に受ける人も多かったし、『いや、そんなにニトロは怖くないですよ』って(笑)。でも、今はそもそも『誤解を与えたくない』っていう方向になってる。女性で言ったらつま先が痛くなってもピンピンのハイヒールを履くようなのが、俺の20代のラップだったと思うんだけど、今は楽なスニーカーも履くし、サンダルも履くし、っていう。でも、靴を履くことは止めたくはないんだよ。靴が音楽や表現だとするならばね」
 
 

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