COLUMN:

BEAT SCIENTISTS 〜HIP HOPのおとづくり〜 feat. TOSHIKI HAYASHI (%C) & basho (CBS)

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 万寿/TAKUMA THE GREAT/BANと共にユニット:HOOLIGANZのメンバーとして活動し、彼らの周辺作へのトラック提供に加え、ビート・シーンへの参加や、最近ではTOKYO HEALTH CLUBやchelmicoなど、幅広いアーティストを手がけ、プロデューサーとして名を高めているTOSHIKI HAYASHI(%C)。
 
 サンプリングを基調とした、HIP HOPとしてはベーシックなスタイル、BPM帯としては80〜90台というオーセンティックなスタイルのトラック・メイク、ソリッドさと温かみを同居させたサウンドは、「%C節」と言えるような独特の温度感を持ち、シーンの中でもその存在感を確かなものにしている。
 
 外部プロデュースに加えて、ソロとしても「Pct.Pepper’s Lonely Beats Club Band」(2013年)や「b(ackr)oom sounds」(14年)といったフィジカル盤、そしてデジタル・リリースされたビート・テープ「karakusa」(16年)や「SOSO」(17年)など、正式にリリースされた作品群だけを考えても、その制作量は29歳という年齢から考えると非常に多く、精力的だ。また、作品ごとに細かな進化が発見できるのも、彼の作品の特徴だろう。
 
 今回は、昨年リリースされた、プロデューサーとして次の段階に登ったことを感じさせる充実のアルバム「THREE」を経た現在の彼に、これまでのキャリアや制作環境、そして現在の展開について伺った。インタビューに同席して頂いた、彼と同じくピスタチオスタジオというクルーに所属するbasho(CBS)の言葉も含めて、TOSHIKI HAYASHIの独自性が伝われば嬉しい。(文中ではアーティスト名を“%C”と表記)
 
 
■まず、%C君とHIP HOPとの出会いは?
%C「親が聴いてたFM YOKOHAMAでOZROSAURUSがかかってたのを聴いたのが最初だったと思いますね。それが中学生ぐらい。他にはTHE OFFSPRINGとかSUM 41みたいなバンド系を聴いてました。ただ、そこでバンドをやろう/楽器をやろうって気持ちはなくて、単純にリスナーとして音楽に接してた感じですね。高校に入ったらHIP HOPが好きなヤツがいて、その影響で、当時リリースされてたサイプレス上野とロベルト吉野『ドリーム』(07年)やNORIKIYO『EXIT』(07年)、TKC『百姓一揆』(07年)なんかを聴き始めて。だから、HIP HOPの原点としては日本語ラップになりますね。それで、高校生ぐらいから日本語ラップのライヴにも行くようになって、HAIIRO DE ROSSIさんとかEccyさんのライヴを見に行ってました。あと、サ上とロ吉さんとかRomancrewさんが所属してた事務所:LOCK STOCKのイヴェント『THE SHOW』にも行ってましたね。ただ、そこでラッパーやアーティストと繋がるってことはなくて、単にリスナーの学生、という感じでした」
 
■では、音楽活動を始めた経緯は?
%C「20歳ぐらいのときにDJを始めて。今はトラック・メイカーとして動いているtajima halが高校の同級生で彼がDJをやってて、それで『俺もやりたいな』と思って始めたんですよね。で、tajima halはAKAI MPC2000も買ってたんで、その影響で俺もMPCを買ってトラック・メイクを始めた感じですね」
 
■その当時、お手本にする人はいましたか?
%C「ILL-SUGIさんとかですね。そういう人たちの作ってる音楽を自分でも作りたいと思ったのが、トラック・メイクを始めたキッカケになると思います」
 
■海外のトラック・メイカーではなかったんですね。
%C「その当時は、そうですね」
 
■%C君のトラックはサンプリングが基調になっていますが、MPCを買った理由はサンプリングによる制作を目指してたから、ですか?
%C「それもありますけど、tajima halが使ってたので、同じ機材ならtajima halに使い方を教えてもらえる、っていうのがあったと思います。最初に作ったトラックもサンプリングで作ったんですが、『めっちゃダサかった』っていまだにtajima halにはネタにされます(笑)」
 
■作ったトラックはtajima halに聴かせてたんですね。
%C「今でも聴かせてますね。全部じゃないですけど」
basho「フフフ、かわいい。%Cとtajima halは想像以上に仲良しだよね(笑)」
 
■これまでにかなり多くの作品をリリースしているから、今更「これ、どうかな?」ってこともないと思うんですが、それでも聴いてもらってるんですね。
%C「もちろん、そこで良い悪いを判断してもらってるわけじゃないですけど、遊んでる延長上で『最近、こういうトラック作ったんだけど』って感じで。で『面白みがない。%Cのトラックは金太郎飴だ』とか言われたりして(笑)」
 
■初期に作っていたトラックは、トラックだけで完結するような、いわゆるビート・テープ的なモノだったのか、それともラップが載って完成するようなタイプだったのか、どちらが近いですか?
%C「ラップが載るトラックでしたね。大学のときには、2MC+1DJのNatural Reportっていうラップ・グループをやってたんで、そのグループのライヴで使う用にラップ・トラックを作ってましたね。ただ、Natural Reportは現場活動だけでリリースはなかったと思います。もしかしたら何かフリー・ダウンロードではリリースしたかもしれないけど、フィジカルはなかったです」
 
■Natural Reportはどんな動きをしてたんですか?
%C「渋谷FAMILYでやってた『MOMENT』っていうイヴェントにRHYMAHOLIKSとかと一緒にレギュラーで出てましたね。そのイヴェントで万寿やTAKUMA、それからHAIIRO DE ROSSIと繋がっていって、『BLUE BAGGY HOO RE:GUNZ』っていうクルーに参加したり」

■basho君と繋がったのもその時期ですか?
basho「その前ですね」
%C「俺は高校生だったと思う」
basho「最初の出会いは音楽じゃなかったんですよ」

■と言うと?
basho「俺も%Cと同じ相模原出身なんですけど、うちの実家の近所に公園があって、そこで俺はスケボーを、%CはBMXをやってて、最初はそこで出会ったんですよ。それで、tajima halと%Cの話をしたり。『あいつのトラック、金太郎飴だよな』って(笑)」
%C「ヒドい、bashoさんもそう言ってたのか(笑)」
basho「それで、FAMILYとか町田VOXでよく顔を合わせるようになってより仲が深まっていく、っていう。でも、曲を一緒に作るようになったのは、俺がCBSに入ってからですね」
 
■ライヴDJに加えて、クラブDJとしても動いていましたか?
%C「やってましたね。その当時は日本語ラップが中心で、USのHIP HOPはプレイしてなかったです。今はかけますけど」
 
■HAIIRO DE ROSSIのバックDJを始めたのもその時期ですか?
%C「そうだったと思いますね。HAIIRO DE ROSSIさんが『SAME SAME BUT DIFFERENT』(10年)をリリースしたぐらいのタイミングで。そのときは使ってもらえなかったけど、デモ・トラックもHAIIRO DE ROSSIさんに渡してたと思います」
 

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