COLUMN:

CO-SIGN feat. 野武士

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 今回、CO-SIGNコーナーにてご紹介するのは、都内を拠点に活動する野武士。近年、東京周辺の現場を中心に着々とその名を上げてきて、7月に1stアルバム「Rhyme And Sing」をリリースした新鋭だ。そして、自身の立ち位置を(自らが名付けた)“シンガー・ソング・ライマー”と表現するスタイルとして押し出しているアーティストでもある。
 
 
 
出会いは14 集まりゃ終始 エロ話 or 馬鹿話
しかしてない つーか出来ない 選択肢の狭い中学男子
手放しで正しさを信じない 出来損ないのルサンチは
深夜2時前コンビニ溜まり 飲めねぇ酒持って今日も馬鹿騒ぎ
虚しい ただ楽しい だけで只々物悲しい
形あるもの手伸ばし目凝らしてるだけで進化もなし
そんな時ツレのガラケーから 流れるベースに心奪われる
レール外れても輝ける 気づいた俺を朝焼けが染める

(“Rhyme And Sing”)

 
 
 
 現在25歳の野武士は大阪で生まれ、すぐに東京に移り、以降は神奈川県・横浜周辺で育ち、現在も同地に居を構えている。「根暗だった」と少年時代を振り返る彼は、内気な性格の反動から音楽やパフォーマンスの魅力に取り憑かれ、入り込んでいったという。音楽/ラップとの出会いについて、彼はこう振り返る。
 
「兄の影響で小6から音楽を聴くようになり、その流れで聴いたSOUL’d OUTがものすごい好きでした。“ウェカピポ”を聴いたときに『超カッケェ』ってなって、それがラップというモノらしいということを知って。そこからいろいろ聴くようになったんですけど、地元の友達が携帯で流していたHIP HOPの中にキングギドラの『最終兵器』があった。明らかに聴き流したらいけないようなことを歌ってたから、『何その音楽!?』って友達に訊いたら、『コレもラップだよ』って言われて。予定調和ではない内容が衝撃でしたね。そこからギドラの『空からの力』まで掘っていって、『サンプリングのHIP HOPってこんなにカッコ良いんだ』って思うようになり、曲の中で出て来るKRS-ONEとかRAKIMを聴いていって。HIP HOPと並行して、サンプリングネタとして使われるOTIS REDDINGとかCURTIS MAYFIELDみたいなソウルも聴き始めました」
 
 
 HIP HOP/音楽にハマり始めてからは、初心者向けのDTMソフトを使いトラックを作り、その上にラップや歌を載せ始め、同時期にはBUMP OF CHICKENやRADWIMPSといった日本のロックをカヴァーするバンドでヴォーカルを務めていたこともあるという。
 
「歌い始めた頃から自分のスイッチが変わったみたいで、バンドとかをやるときだけカチッとなるというか。背も低いしオシャレでもなかったし、顔も良い方ではないので、『いつか見返してやる』みたいな気持ちがずっと溜まってた。リリック面で影響を受けたのはRHYMESTERなんですけど、RHYMESTERは『持ってないヤツが持ってるヤツに勝つための方法』みたいなのをすごく提示してくれる人たちだと思うんですよ。だから、彼らを聴いたときに『そうか、ボンクラでもいいんだ!』って思わされた。そこから完全に『HIP HOPをやろう』と思うようになりましたね」
 
 
 10代後半に差し掛かると、ラッパーとしての活動(とは言え、10代の頃はそこまで活発にライヴをしていたわけではないようだ)と共に、天照という名義でMay J.のバック・シンガーを務めていたこともあるという野武士。当時からラップと歌を並行して追求していたようなのだが、そこから自身のオリジナリティ/スタンスの確立へ意識が向いたのは、ふとした思いつきからだったという。
 
「最初の頃から、ラップしながら歌も歌ったりしてたんですけど、ラッパーとしてキャリアを重ねていく内に“シンガー・ソング・ライマー”というワードがパッと思い浮かんだんです。『そんなヤツ、いないよな?』って。そういうスタンスを提示できる新しい存在になりたいな、って。『新しいことをやるのがHIP HOPだ』っていう思い込みもあったんで、そのコンセプトでカチこんでいこう、と」
 
 
 今となってはラッパーでもメロディを載せたスタイルは大きく受け入れられているし、R&Bやポップスのシンガーでも、そのリリックに込められたアティテュードがHIP HOP的なマインドをベースとしているモノは、洋邦問わず多い。その一方で、“スタイル”だけで特定のジャンルを定義するのが難しい時代とも言える。野武士も、“シンガー・ソング・ライマー”というコンセプトを思いついたものの、そのジャンル分けの狭間でジレンマを感じ続けてきたようだ。
 
「試行錯誤の時期はすごく長かった。『ここまでやったらポップだ』『コレをやったらレゲエだ』みたいな線引きって日本の音楽業界にはあると思うんですけど、それがイヤで(笑)。自分はHIP HOPを聴いてきたし、HIP HOPのスタンスに影響を受けているから“HIP HOPシンガー”と名乗っているけど、HIP HOPってそもそもいろんなジャンルの要素を組み合わせて作っていく音楽じゃないですか。そこで“ジャンル論”を語るのは違うのかな?って俺は思ってて。そういった考えもあって、手探りで自分のスタイルを作っていきました」
 
 
 “シンガー・ソング・ライマー”として開眼してからは、東京のクラブを中心に積極的にライヴ活動を展開。その過程で、野武士と共に自主レーベル:BW MUSIC ENT.を運営する新井氏と出会う。新井氏は渋谷のクラブを中心にイヴェントを数多く手掛けてきたオーガナイザーでもあり、関係者からはライアンと呼ばれている。

「野武士という名前を渋谷で聞いて、タイミングで自分がオーガナイズしてるイヴェントにブッキングしたんです。そこでライヴを観たらメッチャ良くて。彼もそのタイミングでいろいろと動き始めてた段階だったし、俺もマネージャー的にアーティストと仕事をやりたかったから、そこで気持ちが一致して一緒にやるようになった。そこからアルバムを目標にやってきた感じですね」(新井)
 
 
 イヴェント・オーガナイザーは、平日深夜のイヴェントに出演するような無名の若手からゲスト・アクト的な大物まで、幅広くアーティストのパフォーマンスを直にチェックできる立場なので、上記の新井氏の発言はかなり説得力があるものだ。「ジャンルに囚われない」というのは、言うのは簡単だが、実際の活動で貫くのはなかなか簡単なことではない。そもそも、主戦場であるクラブ・イヴェントという現場も、その多くはある程度の音楽性の幅が、暗黙の了解として規定されているものが多いだろう。だが、ライヴの実力があれば、そういった幅やオーセンティックなラップを求めている客層も取り込むことが出来る。
 
「野武士のライヴから“新しさ”を感じたんです。スタイルは一般的なHIP HOPのライヴとは違うけど、ものすごくライヴが良いし、自分のイヴェントに出てもらう内に、来てる客全員をロックして歓声が上がるまでになったんです。それを裏方側から見ていて、すごく魅力的に感じた。現場の支持が高いというのは、前から思ってましたね」(新井)
 
 

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