COLUMN:

追悼:DJ KENSAW — 2007年のインタビューを公開

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 既報の通り、大阪・関西のHIP HOPシーンを代表するHIP HOP DJ/プロデューサーのひとりであるDJ KENSAWが、10月に亡くなった。

 シーン黎明期から活動し、クラシック“OWL NITE”を筆頭に、同地のシーンの底上げに尽力し、亡くなる直前まで精力的に活動していたDJ KENSAW。だが、残念なことに、彼の貴重な発言が残されたインタビュー記事は、そう多くない。

 そこで、今回は、DARTHREIDERがDa.Me.Recordsからリリースしていたブックレット付きのコンピ・シリーズ『月刊RAP VOL.12/13』にて掲載された、氏のロング・インタビュー記事を、関係者の協力のもと掲載させて頂くこととなった。

 このインタビューが公開された『月刊RAP VOL.12/13』がリリースされたのは2007年。故に、当時リリースされた氏のアルバム「SPORTZ CENTER」についてのコメントや、当時DJシーンに普及し始めたSCRATCH LIVEについての見解など、当時を感じさせる発言も少なくない。だが、本インタビューで語られている彼の経歴やDJ/トラック・メイキングに対する信念、後進に対する理解と愛が感じられる発言の数々は、タイムレスなものだ。(文:Amebreak)

※当サイト用に一部内容を編集しています。
 
 
 現在の大阪HIP HOPシーンは、DJ KENSAWの存在なしではまったく違った顔になっていた筈だ。これは推測ではなく、単なる“事実”であり、疑問の余地などあろうはずもない。

「中学生のときにSUGAR HILL GANGとかは聴いてたけど、カッコええって思って聴き出したんはERIC B. & RAKIMとEPMD。そのふたつが一番衝撃的やった。当時は、今になって思うと失礼な話やけど、ハウスのクラブに行ってもヘッドフォン着けてHIP HOPを聴いてるようなHIP HOP馬鹿」

 そんな多感な思春期を過ごした彼は、いつしか自身の感覚のみを頼りに、大阪シーン初のHIP HOPユニット:LOW DAMAGEを結成するに至る。

「タンコシさん(DJ TANKO)と結成したLOW DAMAGEは、当時、日本でHIP HOP好きな奴がXLの服を買おうにも、どこにも売ってなくてNYまで行かなアカンとか、そういうHIP HOP好きのストレスを解消するためであったり、イヴェント的にも『新しいHIP HOPを聴きたいんやったら、俺らのイヴェントに遊びに来てレコードをチェックしてくれたら』って思ってた。今は、若い子に対して『付いてこい』とかは全然思ってない。俺らも好きなことやってきたから、上からの目線で集合かける気もないしな」

 「(ユニットの)名前に関しては、最初は『法律に痛手を与える』って意味もあって綴りが“LAW”やったけど、当時はロウ・ビートが主流じゃない頃やったから、そこからの意味で“LOW”に変化していった。(別名である“オリジナル赤い目フクロウ”について)“梟”ってのは、随分昔、2WIN DOPEで一緒にやってる福井のイチロウちゃん(1-LOW)のイヴェントに行ったとき、メガネ・スーパーのデカい看板があってそれにヤラれて、そこから取ったのが、うろ覚えやけども有力かな。後付けで、“夜行性”って意味でも繋がったし、今にして思えばピッタリの名前やった。それを全国に浸透させてくれたのはYOU THE ROCK★。彼はすごいアクティヴで、気付いたら『真っ赤な目をしたフクロウ』って言い出してた。俺も『オリジナル赤い目フクロウ』って自負があって、あっちは『真っ赤な目をしたフクロウ』。NYにも色々なHIP HOPがあるみたいに、東京と大阪で言い方が変わるのも、面白いと思った」と、本人も語るように、本誌の読者の中にも、彼の存在をYOU THE ROCK★というフィルターを通して知った向きもいるはずだ。

 そしてもうひとつ。日本語ラップと彼の関わりを語る上で絶対に欠かせないのが、大阪シーンの熱気を凝縮した説明不要のクラシック、“OWL NITE feat. OWL NITE FOUNDATIOND’Z”の12インチ。

「当時は俺もまだ子供やったし、『レコードが出せるんや』って嬉しくてしょうがなかった。あそこで初めて頭で描いてたことを音に出来た。今でも、おかげさんで『あの“OWL NITE”のDJ KENSAW』とか言ってもらえるけど、俺としてはずっとラッパーのおかげやと思ってた。今では、音の方でも少しは自信持てるようになってきたけど。当時のレコーディングの勢いは、みんなテンションが凄くて、ああいう感じがHIP HOPやったんかな……凄い経験をさせてもらった」
「“OWL NITE”は、時期が来ればまたやりたいと思ってる、ラッパーの人選はまだ言葉には出来ひんけど。けど、やるんやったら向こうで言うLORD FINESSEやBIG DADDY KANEみたいなヴェテランも参加してるけど、ちゃんと新世代のラッパーも参加してるみたいに、いつまでも変わらないんやなくて進化した点を見せたい」

「当時は、おもちゃのサンプリング・マシーンとDATで作って、音を一旦テープからDATに入れて、DATからまたテープに戻して、スピーカーで鳴ってる音を録音してコンプかけて、バカ(BAKA DE GUESS?)のところとか — 今考えたらありえへんな — 手動で必死にキーボード叩いてた。けど、それが“ドープ”ってことかもしれん(と思い込み、勝手にテンションが上がってた)。作業そのものがドープというか、カッコ良く言わせてもらうと、例えばすごくポップな曲でも、俺が調理したらドープにもなり得る」

 彼の言う作業、すなわち“ドープ”の核を成すのは、言うまでもなく、「MPCでレコードや音源をサンプリングしてキーボードで弾いたとしても、それをサンプリングしてパッドで叩くやり方、それしか知らない」と語るサンプリングの手法。しかし、彼は昔ながらのやり方、及びサウンドに固執しているわけではない。

 「機材も増やしていきたいと思ってる。今は有線で最新のHIP HOPを選曲する仕事もしてるけど、サウスの曲ってピッチが遅くても早くても中毒性があるんかな。2 LIVE CREWみたいなドラム・マシンの曲調で、めちゃくちゃピッチが遅いSLIM THUGみたいなやつも気持ちいいねん。けど、好きなモノは日々変わるから、最近の若い連中ではKIDS IN THE HALLとYOUNG GUNZとかが好きやな」との言葉通り、彼は現行のフレッシュなHIP HOPを分け隔てなく、好んで聴き続けている。

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