COLUMN:

BEAT SCIENTISTS 〜HIP HOPのおとづくり〜 特別編 feat. Mummy-D (RHYMESTER) & PUNPEE(後編)

「シャシャれることだけが絶対じゃないですけど、歌モノのリミックスをしたときに、ラップのヴァースを付けて返したり、世界観に肉付けが出来たりできる。ラップが出来ることでそういう要素を加えたり、全体的なプロデュースやリミックスが出来ると思うんですよね」」 -- PUNPEE

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【前編はコチラ】
 
■お二方とも、トラックもラップも手がけられるので、その上で伺いたいんですが、自分のトラックに自分のラップで載るのと、人のトラックにラップで載るのとでは、感覚的な違いはあったりしますか?
Mummy-D「ケース・バイ・ケースかな。自分で作ったトラックなのに、全然乗れないってこともあるから。例えば、“B-BOYイズム”はオリジナルと、“B-BOYイズム (80’s Remix)”の二種類が正規でリリースされてるんだけど、その両方とも俺がトラックをやってるんだよね。だけど、オリジナル・ヴァージョンを作るとき、オリジナルのトラックじゃ全然上手くラップできなくて。だから、同時に出来てたリミックスの方のトラックを聴きながらラップしてるんだ。それで、そのラップをオリジナルのトラックに載せ替えてて」

PUNPEE「へー!」
Mummy-D「意外でしょ? ラップに関しては俺はリミックスで録って、宇多さんはオリジナルで録って、それをまとめてる。だから、俺のヴァースに関しては、リミックスの方がオリジナルっていうか(笑)」
PUNPEE「BPMは一緒でしたっけ?」
Mummy-D「一緒だね」
 
■ただ、リミックスの方は、オールドスクール・エレクトロ調の重心が低いタイプですよね。
Mummy-D「そうだね。オリジナルみたいな疾走感っていうわけではない。そういう感じで、自分のトラックでも、載せやすいのと載せにくいのがあるし、結局、レコーディング・ブースに入るときは誰のトラックであろうと、『そのトラックに上手く載ること』しか考えてないよね」
 
■ラップもトラックも両方手掛けることによるメリットはありますか?
PUNPEE「俺は『シャシャれる』ってことですかね(笑)。プロデュース作品にラップを自分で入れることも出来るし、『P』っていう声を入れて、自分のトラックだってことをアピールも出来たり」
Amebreak伊藤「P君が歌ったり、自分の声を入れたりするのは……」
PUNPEE「THE NEPTUNESとかSWIZZ BEATZの影響だと思いますね。彼らみたいに、その人なりの“印”をトラックに入れることが必要なのかなって」
Mummy-D「俺もSOUL SCREAMの“コンパス -Mr.Drunk Remix-”のリミックスとかに声を入れてたりしたけど、そういうハンコの押し方がPUNPEEと似てるかな」
PUNPEE「もちろん、シャシャれることだけが絶対じゃないですけど、歌モノのリミックスをしたときに、ラップのヴァースを付けて返したり、世界観に肉付けが出来たりできる。ラップが出来ることでそういう要素を加えたり、全体的なプロデュースやリミックスが出来ると思うんですよね」
Mummy-D「作業環境の違いもあるよね。P君は自宅で録ることも多いからそれが出来ると思うんだけど、俺は昔ながらの、スタジオに入って考えるタイプだから、簡単にヴォーカルを入れることが出来なくて」

Amebreak伊藤「『ラッパーの気持ちが分かる』という面でのメリットは?」
Mummy-D「それはあるかな、ある程度は。『ラップが載ったときのことを考えると、これ以上、このトラックには音を足したらダメ』とか、『ここまで踏み込んだ方がラップが映える』とかは、普通のトラック・メイカーよりは分かるかもしれない。KEN THE 390のプロデュース(“FANTASTIC WORLD”)をしたときに、『彼の声に対してトラックのキーを上げた方が美味しいところに行くぞ』っていうのが感覚として分かるから、そこで修正したり。そういう、ラッパーだから分かる部分はあると思うね」
PUNPEE「リミックスや外部プロデュースでのフェイヴァリット・ワークは何ですか?」
Mummy-D「OZROSAURUSの“045BB”はすごく好きだな。MACCHOのラップ自体が好きだし、手応えもある」
PUNPEE「西寄りな雰囲気もありますよね」
Mummy-D「ちょっとそっちに近づけたけど、でも、ビートは “FUNKY PRESIDENT”(笑)」
PUNPEE「やっぱり好きじゃないですか(笑)」
Mummy-D「言われりゃそうだね(笑)。“ヤバスギルスキル Part 3”も好きだし、フェイヴァリットなのはあの時期の作品かな。やっぱり、あの時期以降は『迷ってる』部分があるんだよね。例えば“HEAT ISLAND”も、もっと先のことをやりたいのにやれてないっていうジレンマを感じるし。そういう風に、2000年代に入ると、90年代後期よりも、もっと音楽的に欲深くなってるから、そういう悩みや迷いが強くなってるんだよね。だから、自分のフェイヴァリットを選ぶとしたら、素直に“自分”が出せてる時代の曲になるかもね」
PUNPEE「ビートで初めてお金をもらったのっていつでした?」
Mummy-D「最初に外部でプロデュースしたのって、RIP SLYMEとかMELLOW YELLOWだったと思うんだけど、順番は覚えてないな〜。でも、ギャラは一応もらってたと思う」
PUNPEE「ライヴはノルマ払ってました?」
Mummy-D「話が全然ビート・メイクと関係ないじゃん!(笑)」
PUNPEE「単純に、いつから音楽がお金になったのかが気になるんです。俺はノルマばっかり払ってたし、ギャラもらえるようになるまで何年もかかったんで……」
Mummy-D「なるほどね。『YOUNG MC IN TOWN』は自分たちの主催イヴェントだったけど、みんなで分配できるぐらいのギャラにはなってたね。結局ファミレス行ったらなくなるぐらいのもんだけど。なんとなく、音楽制作でお金が取れるようになったと感じたのは25〜6歳ぐらいのときだから、『エゴトピア』ぐらいの時期かな。音楽業界の景気も良かったから、アンダーグラウンドのラッパーのビート提供やリミックスでも、それなりにお金は払ってもらえて」
 
■MICADELICでもですか?
PUNPEE「“有視徹戦 Mr. Drunk REMIX feat.宇多丸”ですね」
Mummy-D「MICADELICが一番安かった、と思う(笑)。でも、5千円ってことはなかったよ。まあ、別にギャラ云々じゃなくて、面白い仕事だと思えば、ギャラがいくらだろうがやるんだけど、当時はアナログも売れてたから、みんなそれなりに払ってくれて。だから、今の方が大変だと思うな」
 
 

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